渇きの閾値

あまりに唇がカサカサするので、リップクリームを購入した。中高生の頃は友人につられて良く使っていたが、最近すっかりご無沙汰していた。無頓着になっていたが、見過ごせないほどの自分の唇のカサカサ具合に、そうだリップクリームでも買おう、と思い立った。昔は一〇〇円程度で買える安価なメンソレータムを使っていたけれど、もう大人なのでどうせならいいやつを買おう。インターネットで人気のリップクリームを調べたところ、DHCとオーガニックなものが人気で使い勝手が良いようだ。前者は七〇〇円で後者はなんと一五〇〇円。リップクリームの存在を侮っていた私にとって驚きの価格だったが、高いものであれば大切に使うかな、とDHCのものを購入してみた。

どれ、とつけてみたところ、メンソレータムに比べて滑りが格段に良い。スッと抵抗なく塗れる。あまりに唇が乾きすぎていたため、五往復くらいしてようやく潤いを取り戻した。匂いは特になく、自然なテカテカを呈した唇は良い感じで、嬉しくなった。おお、これがリップクリーム。すっかり気に入った。これからは思いついたらリップクリームを塗ることにしよう、と一番使う頻度が高そうな、車内の運転席から手が届く棚に置いておくことにした。信号で止まった時に、そうだ、と塗れるように。それからは、一日一回は必ずリップクリームを塗る生活が始まり、女子力が上がった気がして、我ながらほくほくしていた。

その話を女友達に話した時のことだ。彼女もDHCのリップクリームを使っているようで、一緒だね、なんて浮かれていたら、彼女はポケットに忍ばせ、ことあるごとに塗り直しているという。だって乾くじゃん、と。えっ、ペロって舐めればいいじゃん。それだと余計乾くじゃん。衝撃だった。今まで私が乾いていないと思っていた段階も、もしかしたら世間的には乾いていたのかもしれない。カサカサが極限に達し砂漠段階になって初めて、私は乾いている、と認識していたのか。彼女と私では、渇きの閾値が全然違う。ゼロベース始まりの私には一日一回のぬりぬりでも十分生き返ると感じていたのに、足りないのか。

思い立ったら、即行動。早速私も仕事中、エプロンのポケットにリップクリームを忍ばせ、ことあるごとにリップクリームを塗るということをやってみることにした。自分では乾いたと思っていなくても塗る。そう決意したはずなのに、気づけば一日が終わりかけていた。ああ、初心貫くべし、ぬりぬり。ああ、忙しい忙しい。。

翌日仕事に行く時に、信号で停車した時に、そうだリップクリーム…と思って手を伸ばすと、所定の位置にない。ああそうだ、昨日仕事の後ポケットから出して、かばんに入れようと思ってそれからどこやったっけ。これでは本末転倒だ。一日一回のリップの時間さえもなくなりかねない。ツヤツヤ唇への道はなんと奥深いのだろうと気が遠くなった。

教訓として、渇きの閾値をもう少しだけ下げてみる事、そしてリップクリームは数本持って色々な所に神出鬼没に忍ばせておくこと。これからは世の女子達の唇に、もう少し注目してみたいと思う。

穴場

誰かと一緒にいると、想定外の出会いや展開があっておもしろい。自分一人では特にアクションせずに終わることも、もう一歩違う行動が加わることにより、広がりがでる。アテンド側として自分の知っている知識では補えない場合、「なんとかしよう」という想いが、人をつき動かす。無意識で自分の中に芽生えた謎の責任感と使命感が、思い返すと愉快でナイスだ。

友人が島根の遠方から遊びに来てくれたので、お気に入りの激渋温泉に連れて行った。ネットで定休日でないことを確認。時間も確認し、盤石な状態で臨んだにも関わらず、なんと故障により臨時休業。時間も限られていたので、とりあえず激渋喫茶店でモーニングをしながらどうするか考えようということになった。移動して遠くの温泉へ行く時間はない。でも早朝から開いている温泉は知る限りない。その子は温泉好きで、激渋温泉に入ることを昨日から楽しみにしていた。はて、どうするか。苦肉の策で、マスターにこの辺りで朝から開いている温泉を他に知らないか、と聞いてみたところ、二つ返事で徒歩五分の温泉を教えてくれた。老人福祉センター内にある入湯料二〇〇円の温泉。とりあえず、そこに行ってみようとなった。建物は公民館のような何のへんてつもない造り。情緒のかけらもなく、施設内移動中は、「せっかく遠くまで来てもらったのに、こんな所しか紹介できなくてごめん」と申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、浴場は広く、なかなかレトロで湯はきれいで透き通っている。塩素の臭いもしない。そこいらの銭湯よりもよっぽど味があり、激渋通の私もすっかり気に入ってしまった。

温泉は近所に沢山あるが、観光客向けの温泉はどうも気取っていてよくない。私の求めている温泉・銭湯は、地元の人が毎日通うような、気軽で小汚くて、生活感の溢れる場所。生活の中に根付いた、コミュニケーションの場だ。今日行った温泉は、まさしくそういう場所だった。

驚くべきことは、この温泉のことがインターネットには載っていないことだ。つまり、今回のように口コミでこそ初めて得ることができる情報だった。穴場、とはこういうものなのだと思った。自分一人でいたら、本来行く予定だった温泉が休みの時点で、自分の知っている別の温泉に行くか、温泉自体を諦めていただろう。限られた時間内にこの温泉好きの友人を満足させるには。その友人がいたことで芽生えた、ホスピタリティが私を行動させ、今回の素敵な出会いに繋がった。まだまだ、私の知らない穴場があると思うとワクワクする。今日の教訓を生かし、ネットだけに頼らず地元の方に教えを乞いながら、さらに激渋街道を突き進んでいきたいと思う。経験値1アップ。

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黒子の葛藤

出産を終えた産婦さんに、マッサージしながらお産の振り返りをする。肌に触れながら目線は合わせずに交わすことばのやりとりは緊張感から解放されるのか、思いもかけないことばが飛び出してきて、おもしろい。お産に一緒に立ち会っている人(主に夫や実母)の一言や、些細なふるまいに対し、そばで見ていて助産師として思うことは沢山ある。それがお産の進行に差し障ると判断した場合、角を立てないように相手に働きかけるのも私達助産師の仕事だと思っている。そのため、お産を終えた後に、あの時あの瞬間、産婦さん自身がどう感じていたか、何を考えていたか、を聞くことができる振り返りの時間は、私にとってとても興味深い時間なのである。答え合わせのような感じで奇想天外のことばにうーんと唸ったり、爆笑したりしてしまう。

こんなことがあった。なかなかお産が進まない産婦さんがいた。丸一日以上陣痛に苦しみながら、なかなか思うように進まない。産婦さん本人も、立ち会っている夫にも疲労感がにじむ。ふと見ると、一緒に立ち会っている実母さんが、そわそわしていた。聞けば、以前この病院でこの産婦さんの妹さんも出産されたらしく、その妹さんの出産はとてもスムーズだったという。「妹の時はこんなに時間はかからなかったのに」「妹の時は…」妹さんと比較して進みがゆっくりのお産に対して落ち着かない様子。お産は、一人一人みんな違う。同じ人の出産でも一回目と二回目、三回目は違うし、ましてや人と比べる物ではない。産婦さんを焦らせてはいけないと、「お産はみんな違うし、赤ちゃんもそれぞれ個性がありますからね」「出てくるタイミングは赤ちゃんが決めますからね」と、自分なりにフォローしたが、気が気でなかった。ようやく陣痛が強くなり、お産が進み始めたところで診察をするタイミングで、本人さんに確認した所、生まれる瞬間は夫と二人で、と言われたので実母さんには席を外してもらい、無事に四キロ弱の大きなお子さんが誕生した。

私は振り返りで、四十時間を越える長いお産の間の心境を聞いてみた。すると、思いもかけないことばが返ってきた。「母がすごく心配性で。隣ですごく心配して慌てている人がいると、案外自分は冷静になるもので、意外と落ち着いていられた。」なんと。ポーカーフェイスで本心は上手く読み取れなかったが、確かに焦ったりパニックになったりせずに、とにかく一回一回の陣痛と冷静に向き合っておられた。実母さんのことば一つ一つに目くじら立ててキーッとなっていたのは私の方で、本人には何の支障も来していなかったようだ。取り越し苦労、余計なお世話だ。そして、この産婦さんの寛大さ、懐の大きさ、どっしり感がとても格好いいなあと思った。きっと穏やかでゆったりした良いお母さんになるだろうなあ、と思った。

家族の関係は、その家族だけが知っている。今まで培ってきたもの、時間、その中で微妙なバランスの中成り立っているものなのだ。実際によそ者である私たちだからこそ見えるものがある場合もあるが、その家族の関係性を、黒子である助産師は丁寧に感じ取り、お産がスムーズに運ぶようにさりげなく上手に導く必要がある。そのさじ加減が、なんとも難しい。まだまだまだまだ修行が足りないと感じた、答え合わせの時間だった。

リアルタイム

箱根駅伝が好きだ。何が好きかというと、一人一人のドラマがあるからだ。走る、という地味なことをひたすら毎日続けてきた若者たちの表情をあんなにアップで長時間見られるスポーツはない。彼らの裏話を実況中継から聞き、想像力を膨らませ、彼らの日々を思い感情移入する。正月は出来る限りテレビにかじりつき、彼らの表情を、ドラマを見逃さないようにしている。

今年は、往路が夜勤入り、復路が夜勤明けというシフト。往路も復路も両方見れる!と意気込んでいた。しかし、お産ラッシュの夜勤で一睡もできず、家にたどり着いたものの、眠気に負けて、テレビをつけたまますっかり寝入ってしまっていた。正気に戻った時には、大手町のゴールを背景に最後のエンドロールが流れていて、心からがっかりしてしまった。母校の勝利はめでたくはあるものの、どうやら正直勝敗は自分にとってそこまで重要ではないようだ。気を利かせた母が復路を録画しておいてくれたらしく、次回の帰省時に見る事ができそうでホッとしたが、どうも解せない。やはりリアルタイムに見て感じることに自分は価値をおいているらしいことに初めて気が付いた。驚きだった。 

以前、友人と旅行している時のことだ。その日は丁度、ワールドカップサッカーの日本戦があり、友人達は試合の動向に夢中だった。サッカーは嫌いではないが、目の前にある今しか感じられない貴重な景色に集中せずにスマートフォンの速報にかじりつく友人の姿に違和感を感じたことを覚えている。今をもっと感じようよ、そんなの後で見ればいいじゃない。リアルタイムがそんなに大切?と。鳥取に来てからテレビをほとんど見なくなり、映画も遅れてやってくることに慣れてきた。私自身、今目の前にあることを大切するように変化したのかとその時思ったが、どうもそうではないようだ。興味の程度によるのかしら。

リアルタイムである意義とは何か。私が今感じた感情を、既に誰かが味わっていることへの悔しさだろうか。今、この時箱根を走っている彼らと一体感を持ちたいのか。はたまた、過程が大切とは言いながら、結果がわかってしまったことでハラハラ感が減り、後で過程を見ても感情移入しきれない悔しさだろうか。とにかく、今年は往路をいつも以上に脇目も振らず一生懸命に見ていただけに、尻窄みの復路がなんとも消化不良で、苦々しく残った。結果を騒ぐ世間が、一枚膜を挟んだ向こう側にあるように遠い世界に見える。声もぼんやり聞こえる。ワタシモ、ナカマニイレテオクレ…。最前線で誰よりも熱く語りたかった。嗚呼。

実家で復路のビデオを見たあと、この感情に変化はあるのだろうか。その時にまた考えてみたいと思う。選手の皆様、こんな私が言う資格は全くないのですが、言わせてください。お疲れさまでした。心から。

目が覚める

どうやら、私の気持ちが被災者になっていたようだ。
家と職場の往復で、いまいち全体像を把握できていなかった。ようやく町に出て人と話して色々な話を聞いて、あれ、と違和感を感じた。案外、平気そうだぞ。 

新聞やニュースを見ると痛ましい被害の様子が映っており、ああ、私の目に見えないだけで、倉吉北栄三朝はどこもこんな状態なのかと思っていたが、そんなこともないようだ。確かに、瓦屋根がずれてブルーシートで補修したり、割れた食器等が散乱したお宅も多い。大きく揺れて一時混乱したのは事実だ。でも、どこもかしこも大きな被害に見舞われて町全体がシュンと静まり返っているわけではないことに、今さらながら気付いた。コンビニにはおにぎりも普通に売っているし、スーパーも開いている。陸続きの道も生きているので、鳥取県内からも調達できる。

今日は少し時間ができたので、図書館のボランティアに行って、そこで色々な話を聞けた。散乱した本を書庫に整理するのだが、私が行った時にはほとんど終わっており、おやつのたい焼きを食べて解散。これじゃあたい焼き泥棒だわ。

午前中に湯梨浜町のボランティアに行ったという方の話が印象的だった。ニーズは屋根瓦の補修と、散乱した家の片付け。屋根瓦は雨天は危険、家の片付けは女性の方が良いとか学生は可能か、などニーズとニーズがなかなか合致せず、結局家族や近所の者でやるから結構です、となり、みんな図書館に流れてきたから作業が捗ったそうだ。こんな混乱の中でも、県外から火事場泥棒が来ているらしく、それを警戒してよそ者に家の中に立ち入られる荷物整理は敬遠されるのだそうだ。なんてこと。

知り合いのお店に顔を出すと、少し食器は壊れたものの、大丈夫。報道は少し過剰なのではないか、とみんな口を揃えて話していた。どうりで、県外からもみんな心配してくれるわけだ。我が家は少し変な臭いがするものの水も出る様になったし、余震は心配ではあるけれど、生活は元に戻った。大丈夫。ありがとう。

地震当日夜に、余震が怖くて避難所に泊まられた妊婦さんは、不安で眠れなかったと言っており心が痛むが、夜が明けて安全を確認して家に戻られた方も多い。まだ帰れず避難所生活している方(主に一人暮らしのお年寄り)に支援が行き届くのが今の課題なのかな。

「私らは、ここいら一帯、散々温泉の恩恵を受けているから、たまにはこういう目にも遭わんとバチがあたるわ。そう考えんといけんわ」
今日耳にしたこの言葉が印象的だった。やはり、外に出て、人と話すと視野が広がる。みんな、明るい。

支援が必要な人に必要な支援が届くように、引き続き、自分にできることをできる範囲で。余計な風評被害に、知らず知らずのうちに自分が加担しないように。

地震の前日に摘んできた秋桜の蕾が咲いていた。よくぞご無事で。f:id:saorelax:20161024110627j:plain

唸り声

朝方、家に帰ったら、郵便受けにとってもいない新聞が入っていた。山陰中央新報さんの粋な計らい。こういう気遣いは本当にうれしい。松江の会社なんだ。隣の島根から温かい気持ちを受け取った。

帰りにスーパーに寄ろうかと思ったけど、東日本大震災の時、スーパーで買い漁る人々の殺気に飲まれて、なんだか何が必要だかよくわからないけど売っているものは買っておいた方が良いのかな、と思ったあの怖い感じが蘇ってきたのでやめておいた。水と米があれば、全然生きていける。丁度連続勤務だったため、芋やらかぼちゃやら、大量に食材も蓄えてあったので、とりあえず大丈夫。我が家は水はまだでないけれど、それ以外は普通だ。

夜中は、余震が怖くてほとんど眠れなかった。グオーという地響きが鳴り、少しするとグラッと揺れる。丁度ピカッと光って雷がゴロッ落ちる、あんな感じ。うとうとしても地響きが鳴るとパッと目がさめる。その繰り返し。地響きなんて、生まれて初めて聞いた。地面の奥の奥の方から唸ってくるような恐ろしい音。そんな中でも、お産の方はやってきて、元気に生まれてくる赤ちゃん。朝になり明るくなって、バタバタながら外来も始まり、人が集まってきて、ああ普通の日っぽい、とものすごく嬉しかった。

瓦の屋根はどの家も崩れ落ちていて、写真で伝えみる知人の家の中の惨状には唖然とするが、それでも時間は動いていて、人々が動き出している。
それを感じたら嬉しくてホッとして、家に着いたら泥のように眠った。

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余震が十分おきぐらいにくる。こわい。
でも、東日本大震災の時は携帯も全く使えなかったから、電波があるだけ全然心強い。田舎だから混線しないのかな。

二十一時五十分に水道止まる。
マンションのタンクの底が尽きたのか。お隣の部屋の方がペットボトルの水を分けに来てくれた。「こういう時は助け合いですから」初めて話したがなんて優しい方。隣の部屋からこぼれ聞こえるガハハて笑い声にイラッとしたりしてごめんなさい。落ち着いたらお礼しよう。

蛇口を捻っても水が出なくなると、一気に心許ない気持ちになる。水が出る間にご飯3合炊いて、お湯沸かして温かいお茶を作っておいてよかった。
家を出るときに、なにを持っていくか迷う。一生ここに戻って来れないわけじゃあるまいし、とも思うけど、あれもこれも、と思ってしまう。こんな時に欲張り。最低限の貴重品と非常用リュックと、食料と、防寒具。心を落ち着かせるための好きな本。車があると、身一つで動くより心強い。最悪この中で寝られる、という安心感。道路は問題なし。電灯の点いている部屋は四部屋くらい。みんな避難所にいるのかな。

二十二時半職場に到着。
やはり人がいると安心する。クリニックの水も途絶えそう。水。ライフライン、ほんとに大切だな。少し寝よう。