ご指名

ご指名というものを、受けた。クリニックに勤務して三年目にして初めてのことだ。二歳違いでお子さんを産む方が多いので、今年の目標としては自分が一人目のお産に関わった方が経産婦さんになった姿、その経過や変化をみたいと思っていた。しかし、いかんせん働き出してすぐの頃は経験が浅いため、今考えると本当に気力と体力と誠意だけで成り立っていたと我ながら思う。わからないことはもちろん先輩に聞くものの、当時のお産のふりかえりノートを読み返すと、「なんでこんなことを…」と顔を覆いたくなる場面も沢山ある。そんな、働き始めてすぐの時期にお産に関わらせていただいた方だった。

私としては、自分の至らなさで申し訳ないことをしてしまったとネガティブな印象を持っていたお産だった。その方が、今回のお産も私にとバースプランに名前を書いて下さったのだ。とても驚いた。当時の記憶が蘇る。忘れもしない、産後数日たってのバースレビューで「あの時もしこう私が言っていなかったら、どうなっていたのですか?」と聞かれたのだ。その方は、お産の最中にご自身が発したことばに対して、後悔をしているように聞こえた。経験もなく、彼女のその迷い、戸惑い、後悔を受け止めきれなかった私は、先輩に相談し、先輩が彼女の話をしっかり聞いて一緒にふりかえりをしてくれた。そして、それによって、ようやく納得されていたように見えた。私は、お産の最中ずっと一緒にいたのにそんな風に思い詰めさせてしまった自分が不甲斐なくて、ひとしきり凹んだという経緯があった。

二年経過しても、そのお産に対してはネガティブな印象が残っており、私へのご指名も、そんな弱い自分を試されているのではなかろうか、などと裏の裏まで読んでしまい素直に喜べなかった。しかし、死ぬほど緊張して臨んだ二年ぶりの再会は、とても円満で清々しいものだった。「前回お世話になったから、またあなたにお願いしたくて。」彼女は、前回のお産のわだかまりを乗り越え、きちんと受容されていた。前に進めていなかったのは、私自身だった。こんなへっぽこな私をそんな風に言ってくださる彼女の姿が眩しくて、有り難すぎて、今回も自分のできる限りの誠意を尽くそうと心から思った。

時は前に進んでいく。あの時もし、とか今流行の「たら、れば」は存在しない。ただ、そこでもしお母さんにわだかまりが残ってしまった場合、一生残ることがある。出産の現場というのは、それくらい命がけなのだ。あの場には新人もベテランも存在しない。だからこそ、私達は今の自分にできる精一杯をして、誠意を尽くして関わっていくしかない。あれから二年の間に私は赤ちゃんを一五〇名取り上げさせていただいた。ごめんなさいの思いで一杯になる苦い記憶も数えきれないほどあるけれど、その経験があるから今がある。一五〇名のお母さん、ご家族達から身を以て学ばせてもらったことを有り難く噛み締めて、また次に繋げていきたい。ご指名、ありがとうございました。

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路地裏

筋肉トレーニングとして、日々少しずつでも文章を書いていこうと思っている。その一環としてのブログなのだが、毎日というのがやはりなかなか難しい。ほぼ日刊イトイ新聞を目指して、短くても良いのでほぼ日刊、最低週一回ぐらいのゆるい感じで続けていきたい。

大物は、一六〇〇字(原稿用紙四枚分)の定有堂さんの音信不通という同人誌への寄稿だ。毎月一回月末〆切。昨年十二月から仲間に入れてもらい、今月で五回目。一六〇〇という制限がなかなか難問で、書くぞーと書き始めても途中でなんともつまらなくなり却下、書き直しとなる。今まで喫茶店にこもり、コーヒー片手にカタカタ追い込み〆切ぎりぎりに仕上げるということをしてきたが、筋トレがきいてきたのか、新居の居心地が良いのか、今月はスラスラと書く事ができた。五回目にもなり肩の力が抜けてきたのがいいのかもしれない。かっこよくうまく書こうとすると、肩に力が入ってしまっていけない。定有堂店主の奈良さんに、続けることが大切だと言われたけれど本当にそうだ。そのためにも、毎月決まった課題があるというのは有り難い。

いつも思うのだが、慣れなのだ。思う事は日々たくさん溢れているのに、それが流れていってしまうことが悲しい。産後のお母さんの一言で、「今の発想すごくおもしろい」と思っても、そのおもしろかった事実は覚えているのに、内容がどうしても思い出せない。こうして、自分の琴線に触れる尊いことばや感情たちが、流れていってしまう。垂れ流しの毎日は本当に勿体ない。拾い上げる心の余裕と、それを形に残す小さな一手間。今年はそれを大切にするために、そういう時間を敢えて作るようにしていきたい。

 

奈良さんの書かれた音信不通第八号の編集後記がまた良い。

——迷う、リングワンダリング。小冊子『音信不通』は店内のわかりにくいところに置いてある、『迷った』ひとだけに見出されるビオトープ。——

 

路地裏、というものが好きだ。都会でも田舎でも一緒で、路地裏におもしろいものが隠れている。表通りを歩いているだけでは見えない、一見目立たない地味な道。そこに敢えて足を踏み込んで、なになに?と覗いてみることをしないと、おもしろいものなんて見えてこない。路地裏のビオトープに名前を連ねられていられることがうれしい。

以前、瀬戸内海の豊島に行った時、カフェ「てしまのまど」のお姉さんが言っていたことばを思い出す。この「てしまのまど」を作っている途中、リノベーションの途中段階なのでこの建物の中がすごくおもしろいことになっていた。でも、観光客はガイドブック片手に、載っているスポットからスポットへ移動するので、すぐ横を通っても素通りして気づかない人が多い。地元の人の方が、なんだなんだ?と沢山覗きにきたという。何をおもしろいと思うかの違いはあるものの、結局はそういうことなのだ。そう考えれば、別に都会でも田舎でもさほど変りはない。ようは、おもしろい、を嗅ぎ付けるアンテナと好奇心と、心の余裕。新生活一週間、今のところ心の余裕はなんとか保てているなうである。

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つながり

お産に立ち会ったお父さんは、多くの場合生まれてくる赤ちゃんに気持ちが向くことが多い。「オギャー」という一声で今までの不安や疲労が吹き飛び、全ての感情が赤ちゃんに集約するように感じていた。しかし、先日立ち会われたあるお父さんは違った。

「お腹がだんだん凹んでいって、最後に赤ちゃんが出てきた」

超冷静…。私自身、出産の瞬間は下の方に集中しているのでお腹の変化について考えたこともなかった。だから、全体像をしっかりと捉えてそれをことばにしておられるお父さんにとても新鮮な感動を覚えた。

赤ちゃんが出てきたから、その分今まで赤ちゃんがいたお腹はぺしゃんこになる。そりゃあそうなのだけど、ビジュアルとして、お腹の中に赤ちゃんがいるパツンと大きなお腹と、生まれた後のぺしゃんこのお腹。その二つの画像しか自分の中で存在していなくて、その過程や経過がつながっていなかった自分に気づいた。できるだけ傷を作らないように、とか、呼吸法を誘導しなくては、とか、技術やすべきことで頭の中がいっぱいになっていたのかもしれない。

赤ちゃんは、狭い骨盤を通って、生まれてくる。頭が頑張って骨盤を通った後、かわいいお尻や足が続いて骨盤を通る。その分、赤ちゃんがいることでふくらんでいたお腹は、徐々に小さくなっていって、一番大きな頭が出たら赤ちゃんはドゥルンと一気に外の世界にやってきて、お腹の方は一気にぺしゃんと凹む。それが、生まれるときのお腹側の変化。

お産にも少しずつ慣れてきたところで、新鮮な気持ちをどこかに置いてきてしまっていた。初めてお産を目にするからこその新鮮な視点に大事なことを教えてもらった気がする。気持ち新たに、助産師三年目、心して。

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愛でる

ここの所、床の雑巾がけをしている。雑巾がけなんて小学校の時の掃除の時間以来ではないかと思う。その頃は、床は汚いし雑巾は牛乳臭いし(記憶の中ではそうなっている)、男子はちゃんと掃除しないし(定番の)、雑巾がけなんて大嫌いだった。実家は絨毯だったし、一人暮らしのフローリングの家も掃除機とクイックルワイパーで済ませていたので、雑巾がけをするなんて考えもしなかった。大人になってから、先輩で雑巾がけが日課という方がいて、朝起きたらまず雑巾かけをしてから仕事に行くとおっしゃっていた。それが一日の始まりなのだという。なんのために。全く理解できなかった。

新しい家の板張りの床は、私が来た時は埃がたまりたまって靴下が黒くなるほどだったので、仕方なく一通り雑巾がけをした。雑巾は一瞬で真っ黒になるのでバケツに水を汲んできて、無心でゴシゴシ拭いていく。ゆすいで、またゴシゴシ。こうして最低限の「汚くはない床」を手に入れたが、今度は床の乾燥が気になり始めた。家が広いから床が沢山見えるということもあるが、カスカスに乾いた床がなんだか不憫に思えてくる。ご老体といえど、少しばかりは艶を出してあげたい。調べると米のとぎ汁で雑巾かけをすると艶が出るとのこと。早速、仕事帰りにとぎ汁で雑巾がけをしてみたところ、少しだけ艶が出て息を吹き返してきた。真っ白な米のとぎ汁が、濃い灰色に変わっていく。まだいたのか、汚れよ。ワックスほどではないが、足触りが少しだけ滑らかになり、とりあえず満足した。

こうした床の変化も勿論嬉しいのだが、雑巾がけの作業自体が思いがけず結構楽しい。無心で床を拭いていると頭の中で色々な出来事が蘇ってくる。小学校の時の掃除の時間も、雑巾がけが日課の先輩の話も、すっかり忘れていた。あの時あの人、あんな風に言っていたなあ、とぼんやり思い出すことは趣深い。前に進んでいく時間の中で、単純作業を無心で行うことでふりかえりの時間を持つことができる。一日五分でもこういう時間を作ることはいいなと思った。雑巾がけとはその象徴だったのか。なんと。

もう一つ思い出したのは、祖母からもらった鞄のことだ。祖母が昔使っていた革の鞄をとても気に入り、大学生の頃からずっと使っている。相当年季が入っているのだが、それこそが味というもの、革はこうでなくっちゃ、くらいに思っていた。しかし、革が大好きなおじさまと知り合った時に「お手入れしてあげないと革が可哀想」と嘆きの声をいただいた。そして、丁寧にお手入れをしてくれた。「砂漠に水をやるようで、クリームを塗っても塗っても吸い込んでしまってきりがなかった、また手入れにおいで」と言われた。長年の無頓着のツケだ。使い古すばかりで、お手入れなんて考えもしなかった。私の鞄をお手入れしてくれているおじさまの、革を愛でる優しい眼差しが今でも印象に残っている。

物を長く使うならば、それなりにお手入れもしっかりとしてあげないといけない。好きなものだからこそ、時々ご褒美もあげながら、大事に使っていく。労働力の酷使ばかりしていた自分を恥じ、これからは砂漠に水を運動を心がけていきたいと思う。

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迎春

春が来た。

新生活。引っ越しだ。二年間住んだマンションを引き払い、友人と三人でシェアハウスをすることにした。一人暮らしが大好きで、シェアハウス、ルームシェアなんて一生しない、する人の気が知れない、と思っていた私がおかしな巡り合わせだ。やはり昨年の地震が大きかった。身よりと遠く離れた地に住み、私は独りを感じて自分が思っていた以上に寂しくて心細かったのだと思う。

二年住んだ家を離れるとき、もっとセンチメンタルになるかと思ったが、案外スッキリしたものだった。どうもねー、くらいな感じ。楽しかった思い出も、悲しかった思い出も、やっぱり楽しかった思い出もいろいろあった。いろいろ詰まって、お腹いっぱいだ。二年間の凝縮しまくった時間を全うしてくれたので、次のステージへ気持ちよく出発する。契約更新などもないので、このまま職場から五分の好立地のこの家に住み続ける方が無難だし楽だ。でも、可もなく不可もないところへ留まることは、なんとも守りに入っているようでもやもやとするので、踏み出した。せっかく鳥取に来たのに、マンションに住むというのもナンセンスだとずっと思っていた。今度の家は古民家で、地域の方との関わりも増えてくる。怖くもあり、楽しみでもある。はて、どうなるか。

同居人たちの中性的な感じもとても安心する。受け入れてくれて、本当にありがたい。食習慣が全然違っていて驚くこともあるが、そこはうまいこと擦り合せていく。持ちつ持たれつ、を無理のないバランスで保っていきたい。荷物運びが終わり少しずつ片付いてきて、今日から本格的に生活が始まる。片道五分の通勤時間が二十分になって職場の方からはブーイングがあったが、そこは発想の転換だ。家と職場の往復ではなく、雄大な大山を眺めながらの出勤時間は楽しいドライブの時間。最短ルートではなく少し遠回りして左右を畑に囲まれた田舎道をブイーンと突っ走って仕事へ行こう。鳥取生活四年目、第三章の始まり。どんとこい春!

(第一章:若葉寮でのユートピアな日々、第二章:エスポワール、それは希望)

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さとええやん

「さとにきたらええやん」を見てから、胸のあたりのもやもやが消えない。見てすぐはなかなか言葉にならなかった。パンフレットを読み、SHINGO★西成の歌を改めて聞き、映画の場面を思い出して涙が溢れてきた。今まで自分が経験した色々な場面を反芻して、じわじわ味わいが増してきた。良い映画は、すぐには感想を述べられない。

昨年、ひょんなことから飛田新地に足を踏み入れた時、とても衝撃的だったのがそのすぐ横のガード下のような公園で、子ども達が元気に遊んでいたこと。自分の中で相容れないと思っていたふたつの世界が、融合している。その不思議さ、理解不能な感覚を今でも鮮明に覚えている。釜ヶ崎は、なんだか異様で危険な場所、子どもが近づく場所ではない。そう思っていた。しかし、今回「さとにきたらええやん」を見て、そう思うこと自体が偏見だと気づいた。そこで生きる大人がいる限り、その場所に生きる子どももいる。色んな生き方があって、色んな仕事があって、でもみんな一生懸命生きている。誰に教わるでもなく多様性を理解し受け入れ、笑顔いっぱい強く生きている子どもたちが眩しかった。

釜ヶ崎にある「こどもの里」、通称さと。駆け込み寺のように、児童館の役割や中・長期的な宿泊施設、事情がある子どもへの里親役割まで請け負う。しかも無料で。私が一番印象に残っているのは、子どもをさとに預けている親にも寄りそうスタンスだ。どんなひどいことをする親でも、子どもにとっては「宝」。親のしんどさもやさしく受け止める近所のおばちゃんのような存在だからこそ、親も鎧を着ずに「ちょっと助けて」と言える。親を悪者にしない。多様性を認める釜ヶ崎だからこそのやさしさだと思った。

 

「適度な距離感で関係性を維持していく事によって、子どもは見捨てられ感を抱かずに生きていけるし、母親も過度な負担を背負わずに済む。これは新しい、社会全体で共有すべき家族の形だと思いました。」(重江監督:パンフレットより)

 

家のことを家の中だけに留めず、社会全体で子どもを育てる。ひとりで子育てなんて絶対無理だからこそ、近所の人が当たり前のように子どもに目をかける。それができなくなっているのが今の社会だ。私自身、職場で出会う支援がないお母さんたちに、保育園の送り迎えを他のお母さんに頼ることを提案すると、「何かがあった時に自分を責めそうで」となかなか頼れない。自分の頑張りで補うか、お金で解決する。そんないびつな頑張りで成り立っている核家族で、母も子どもも孤独を感じている。そんな社会はやっぱり無機質で冷たい。

ホームレス襲撃事件も、今まで自分の認識では「ひどいことをするギャング」と「やっぱり路上生活なんて危険で、そんなところにいるホームレスの人が悪い」というなんとも表面的なとらえ方だった。しかし、ことはただの一事件ではないのだとこの映画を見て気がついた。

 

「家にも学校にも地域にも、さとのような場所がない、ホーム・レスな子どもたちが、その孤独、つらさ、苦しみを、抱えきれなくなったとき、心の汚濁をぶつけるように、怒りを暴力に爆発させ、他者を傷つけ、さらに自分を傷つけていってしまう。ホームレス襲撃事件とは、そんな居場所(ホーム)なき子どもたちが、弱さや貧しさを増悪する、家(ハウス)なき野宿者への攻撃であり、「路上のいじめ」に他ならない。」

          (北村年子:パンフレットより)

 

路上生活者の人、日雇い労働者という社会の「最底辺」と言われる人々にも事情があり、必ずしも皆が怠け者なわけではない。「自分なんて」と口にする自尊感情を失った人々にも、さとの子どもたちは「子ども夜回り」としてあたたかい声をかけていく。相手を知らないことこそ、想像力の欠如による残虐性へと繋がる。偏見もしかりだ。さとの子どもたちの方が、私よりよっぽど人の弱さを知っていて、やさしい。

「さとはすごいな」で終わらせず、今の自分にできることは、自分のクリニックで出産したお母さんたちに、クリニックをさと=ホームだと感じてもらうようにすること。デメキンやさとの職員さんたちの、親や子どもたちへの関わり方をヒントにして、「普通でない」人にも偏見を持たずに関わること。多様性を認めること。相手の気持ちを想像すること。月並みだけど、まずはそこから始めようと思う。釜ヶ崎は今までの自分の常識がぶっとぶ、混沌とした奥深い場所。機会があったらまた足を運んでみたいと思う。まだまだ知らない日本がある。あと、SHINGO★西成めっちゃいい。

 

「さとにきたらええやん」

http://www.sato-eeyan.com

SHINGO★西成/切り花の一生

www.youtube.com

 

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雪こんこ

夜勤の間に雪がしんしんと降り続き、帰る頃には膝まであるAIGLEの長靴が全部埋まるくらい積もっていた。この長靴がこんなに実用的だということを、買って十年近く経って初めて実感した。

私が帰れるようにと職場の方が車の周りと窓に積もった雪をかいてくださったので帰路につく。赤信号で止まるとルーフに積もった大量の雪がフロントガラスにどさっと落ちてくるプチ雪崩がおきる。最初はワイパーが機能していたがそのうち動かなくなり、その間にも降り続ける雪で視界がどんどん狭くなっていく。アタックチャンスの最後の、穴あき映像を見て答えるクイズのようだとぼんやり思う。視界が狭くなっていく中運転するのはなかなか恐怖だ。コンビニに寄ろうにもどこも深い雪だし、残された視界を頼りになんとかのろのろ自宅マンションにたどり着く。

駐車場は車が出入りした形跡がなく、膝丈まである雪を果敢に車で開拓すると、タイヤがキーッと空まわりしだす。キーキーやってるうちに、ついに視界が全く閉ざされた。とりあえず降りてタイヤ周りとフロントガラスだけスコップで雪を除けるが、少し進むとまたすぐつまる。今度は私の方がキーッとなりそうなものだが、そうだ前にばかり進むのではなくて後ろに下がれば良いのかと気づく。一度バックしてから前に進むと、少しずつだが動けた。定位置に駐車し、ようやく家で暖まる。いつもは五分の通勤路が、大冒険だ。仮眠してから鳥取まで繰り出すつもりだったが、とてもじゃないけど断念。久しぶりにゆっくりと風呂に入って時間を気にせず寝ることにする。

キーッという音で目がさめる。姿は見えないが同じマンションの住人がどうやら駐車場ではまっているようだ。前だけじゃなく、後ろだよ。ぬくぬく布団から優越感に浸りながら心の中でアドバイスし、はたと気づく。私はどうも、何の制限もなくどこへでも動けてしまうと欲張りに詰め込んでしまう性分だ。こうして足止めを食らうと立ち止まり、振り返る。身体の休息、こころの休息。前進するばかりではなく、たまには後ろに下がること立ち止まることも必要だな、などと人生の格言めいたものを呟きながら、雪のもったり積もった屋根屋根を眺める。こんな休日も悪くない。明日は、キムチでも作ろうか。

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