追い抜く

車で遠出した時に、何台もの車を追い抜いた。前の車よりも早く走りたいと思った時に、右側の車線に車線変更して、ぐっとアクセルを踏む。そうするとスピードが上がって、その車を追い越すことができる。簡単なことだ。タイミングさえ合わせれば良いだけだ。最初は慣れないけど、慣れてくればなんてことはない。スイスイと追い抜いて行く。

 

追い抜きながら、頭の片隅に妙な違和感を感じていた。罪悪感に近い。なんだろうと思っていたが、今日わかった。車を追い抜くあの感じが、マラソンで前方の人を追い抜く場面を彷彿させたからだ。この人を追い抜きたい。もうちょっとだけペースを上げたい。でも、ちょっとだけしか速度の変わらないこの人を抜く為には、渾身の力を振り絞って、棒のような足に鞭打って、前に前にと進んでいた足を右の方にえいっと方向転換し、さらにいつもの倍くらいの速さをうおーっと出さないといけない、あの感じ。抜いたはいいけど、抜いた後に疲労感がどっとくる。抜いたからにはまた抜かれたくもないし、ちょっとハイペースを自分に課しながらぜえぜえ言いながら走る、あの感じ。それでも、なんだか抜ききった自分がちょっと嬉しくなる、あの感じ。

 

それと、なんと違うのだろう。機械の力を借りるということは、なんて楽なのだろう。自分は痛くも痒くもならずにスピードをコントロール出来てしまう。こういう所にずっといると、何も感じなくなってしまう。快適で、自分の足では行けない所へどこへでも行けるし、自動車は本当に文明の利器だ。でも、便利さに甘んじていると、自分では何も感じなく何もできなくなってしまいそうだ。

 

無駄な危機感を感じて、久しぶりに近所をジョギングしてみた。人を抜く場面にも遭遇しない、人っ子ひとりいない河原道。イメージと全く違う重い身体、すぐ切れて肩でする息。少しの坂道でも走るスピードがぐっと下がる。風吹くと汗が冷えて寒い。でも、気持ちがよかった。菜の花が咲いていた。

 

春だ。