路地裏

筋肉トレーニングとして、日々少しずつでも文章を書いていこうと思っている。その一環としてのブログなのだが、毎日というのがやはりなかなか難しい。ほぼ日刊イトイ新聞を目指して、短くても良いのでほぼ日刊、最低週一回ぐらいのゆるい感じで続けていきたい。

大物は、一六〇〇字(原稿用紙四枚分)の定有堂さんの音信不通という同人誌への寄稿だ。毎月一回月末〆切。昨年十二月から仲間に入れてもらい、今月で五回目。一六〇〇という制限がなかなか難問で、書くぞーと書き始めても途中でなんともつまらなくなり却下、書き直しとなる。今まで喫茶店にこもり、コーヒー片手にカタカタ追い込み〆切ぎりぎりに仕上げるということをしてきたが、筋トレがきいてきたのか、新居の居心地が良いのか、今月はスラスラと書く事ができた。五回目にもなり肩の力が抜けてきたのがいいのかもしれない。かっこよくうまく書こうとすると、肩に力が入ってしまっていけない。定有堂店主の奈良さんに、続けることが大切だと言われたけれど本当にそうだ。そのためにも、毎月決まった課題があるというのは有り難い。

いつも思うのだが、慣れなのだ。思う事は日々たくさん溢れているのに、それが流れていってしまうことが悲しい。産後のお母さんの一言で、「今の発想すごくおもしろい」と思っても、そのおもしろかった事実は覚えているのに、内容がどうしても思い出せない。こうして、自分の琴線に触れる尊いことばや感情たちが、流れていってしまう。垂れ流しの毎日は本当に勿体ない。拾い上げる心の余裕と、それを形に残す小さな一手間。今年はそれを大切にするために、そういう時間を敢えて作るようにしていきたい。

 

奈良さんの書かれた音信不通第八号の編集後記がまた良い。

——迷う、リングワンダリング。小冊子『音信不通』は店内のわかりにくいところに置いてある、『迷った』ひとだけに見出されるビオトープ。——

 

路地裏、というものが好きだ。都会でも田舎でも一緒で、路地裏におもしろいものが隠れている。表通りを歩いているだけでは見えない、一見目立たない地味な道。そこに敢えて足を踏み込んで、なになに?と覗いてみることをしないと、おもしろいものなんて見えてこない。路地裏のビオトープに名前を連ねられていられることがうれしい。

以前、瀬戸内海の豊島に行った時、カフェ「てしまのまど」のお姉さんが言っていたことばを思い出す。この「てしまのまど」を作っている途中、リノベーションの途中段階なのでこの建物の中がすごくおもしろいことになっていた。でも、観光客はガイドブック片手に、載っているスポットからスポットへ移動するので、すぐ横を通っても素通りして気づかない人が多い。地元の人の方が、なんだなんだ?と沢山覗きにきたという。何をおもしろいと思うかの違いはあるものの、結局はそういうことなのだ。そう考えれば、別に都会でも田舎でもさほど変りはない。ようは、おもしろい、を嗅ぎ付けるアンテナと好奇心と、心の余裕。新生活一週間、今のところ心の余裕はなんとか保てているなうである。

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