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民藝といふもの

鳥取で行われた日本民藝夏期学校なるものへ参加してきた。新参者として感想文を書くという大役を仰せつかったのだが、いかんせん、大御所の先輩方が見る機関誌に載ると思うと肩に力が入ってしまっていけない。頭を整理するために、民藝について自分なりに思うこと、参加に至った経緯などをこっちに書いてみようと思う。そこからブラッシュアップ。そう、ここはそういう場。

故郷東京を離れ、鳥取に住んで三年になる。私の住む倉吉は、東京時代に好きで時々足を運んでいた長野県の松本とどこか似た雰囲気があり、親近感を持っていた。鳥取と松本。そこに共通する「民藝」。喉の奥に何かひっかかるものの、深く知ろうとまでは思い至らなかった民藝をもっと知りたいと思ったのは、実際に民藝のプロダクトである器を使い始めたからだった。

山陰に窯元が沢山あるのは知っていたが、何から手を出したらよいのかわからない。そんな中、民藝好きの友人の家で初めて民藝の器を実際に使う、という体験をした。使ってみると、お店に並べられている時と全く表情が違うことに驚いた。自分の料理がその器に載ることでぐっと美味しそうになる。これが手仕事なのだと思った。ペアで揃えずとも豆皿一枚から始めても良いのだと知り、ぐっとハードルが低くなった。歴史があるものはこうしなければならない像が強い分、敷居が高くなるのかもしれない。勝手なイメージかもしれないけれど。

こうして、一つまた一つと鳥取島根の窯元を巡っては器を日常の中で取り入れるようになった。使い始めて知った「用の美」。価格の手頃さと、飾って愛でるのではなく日常の中で使っていくという理念にも共感を持った。同じお皿でも、載せるものによって本当に表情が違う。毎回、「おお、こんな感じになるのか」と素直な驚きがある。助産師という仕事柄、妊婦さんに指導することもあり異常の少ない健康なお産に向けて日常の生活習慣、特に食生活に自分自身も重きを置いている。しかし、食事内容と共に器が違うだけでこんなにも食事の時間が豊かに感じられるとは。感動だった。

民藝の器自体を身近に感じる一方で、自分は民藝品を雑貨的に使用しているのでは、という後ろめたさも常に持っていた。それだけ、民藝とは無知な者が容易く手を出してはいけないものだという印象があった。でも、こうして民藝を日常に取り入れることで、明らかに自分の暮らしが豊かになった。入口は何でも良い、興味を持ったならそこから深めていけば良いのではないか。しかも私の住む鳥取での開催だなんて、なんというタイミング。そんな思いから、民藝夏期学校へ行ってみようと思い立ったわけである。

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