管轄外

先日、にっぽんネウボラネットワーク研究所設立一周年記念シンポジウムに行ってきた。コミュニティナースの産科版のヒントを得られるかなと思い、日帰り京都。バスを使わず奮発してはくとに乗ったら、移動時間も有意義に過ごせてとても快適。早朝に鳥取を出て、京都でモーニング。時間をお金で買うのも、たまには悪くない。

ネウボラのことは、二年ほど前に東京でネウボラ研究第一人者の高橋睦子先生のお話を聞いて衝撃を受けたが、フィンランドの子育て環境があまりに違うことと、自分の興味の矛先もその時は若干違っていたので棚上げしていた。時を経て、今かなり興味深く感じている。そして、私がぼやぼやしていたこの二年間の間に日本版ネウボラが実践され改善、進化し続けていることを知る。意識が低かった。あんぐり。

埼玉、京都、徳島…と全国各地で「切れ目ない育児」「妊娠出産育児をつなぐ当事者支援」を実践されている方々のお話を伺う。皆、自分の子育て経験や、しんどかった経験をバネにしたり、今ある制度ではこぼれ落ちてしまう部分を、ないならば自分達で作ろう、という精神で活動されている方々。誰かがやるのを待っているのではなく、自分でやる。しかも「やっているぞ」で終わらせずに、しっかりエビデンスを取って政策提言まで持っていく、という意識が素晴らしい。文句ばかりゴタゴタ言っているだけでは、何も変わらない。ともかく、あつい。日本死ねとか言ってる場合じゃない。ここにこうして動いている人がいる。

よくわからなかったのは「私の立ち位置はどこなのだろう」。参加者の中に病院勤務の助産師さんが見当たらなかったのが印象的だった。子育てひろば、子育て支援NPO、市町村職員、保健師さん、保育士さん…。今回いらしていた方々は、いわゆる「地域」と呼ばれる場所にいる方だと思う。東京の大病院で働いていた時は、病院から退院した方は「地域」へ帰っていった。問題がありそうな人は、MSWと地域連携担当の方につないで、あとはよろしく。勤務している私たちは、その後のことはいまいち見えない。見ない、の方が正しいか。目の前には次々と患者さんがいるから。

今の私の職場は、そことは大きく違う。くくりで言えば病院だけど、小さなクリニックだから一ヶ月健診までは自分が取り上げた赤ちゃんとお母さんは責任を持ってフォローする。「妊娠出産育児をつなぐ」一端は担えている自負がある。つまり、助産院的な立場に近いのかな。でも、そこで背負いきれない部分、地域へつなぐ、というよりは伴走というか、その部分がうまく機能できていないと思う。問題がありそうな方を市町村の保健師さんにつないでも、「助産師さんの方が信頼されているみたいなので、そちらでフォローお願いします」と言われることも多々ある。もちろんフォローしたいしするけれど、個人の頑張りでまわっている支援はなんだか頼りなく、先細りだと思う。そこをどうやって仕組みにしていくか。

今回一番感じたことは、私自身がクリニック内から見えた狭い世界しか知らなかったなということ。マドレのサロンを開いて、クリニックの外に出て初めて「地域にいるお母さん」たちの姿が少しだけ見えた。そして、クリニックの支援の限界を感じた。だから、クリニック以外でも助産師と繋がれる場を、と思ったけれど、なにもそれを全部助産師がやらなくてもいいのか、と今回思った。というか、やっている人達がすでにいる。子育てサークル、自主保育組織、子育て支援センター。それらが、バラバラに点在しているだけではだめで、それらがどうやったら繋がっていけるのか。そこを考えればいいのか、というのが今回の大きな気付き。その上での、クリニックの役割とは何か。クリニックでぶつぶつ叫んでたって、誰にも届かない。

先日、岡山県奈義町で聞いた平田オリザさんのお話を思い出す。奈義町の役場の採用試験には、演劇を導入しているそうだ。能力のみで選ぶのではなく、一緒に働きたい仲間を選ぶ試験。職員が十六万人もいる東京都と違って、八十人で構成される奈義町では、新人だろうが、入った途端クルーになる。一人が色々なポジションをやらないといけない。それは私の管轄外、と一蹴するのではなくて、いろんなことを柔らかくやっていかなければいけない。これは、私も鳥取に来て本当に感じたこと。病院内の役割だけを果たして、便宜上地域につなげばはいおしまい、だった自分には想像もできなかったこと。

ここまで考えてやはり後ろめたく感じるのは、腰を据えられていない自分。でも、今自分の居る場所がよりよい場所になっていくことは、たぶんいいこと。

動けば、動いただけ出会いがある。And then?

f:id:saorelax:20180301073308j:plain