9分後

あの時、あの判断でよかったのかな、と今でもあの場面を鮮明に思い出す。

私たち助産師は、チームで動いている。自分の時間帯で生ませてあげたいという意識が働くと、絶対に焦る。完全に自分のエゴだ。前にそれで何度も失敗している。早く生まれるような助言や援助は大切だけど、何をやっても進まない時はあるし待つしかない時もある。時間を気にしてはいけない。これは絶対的な教訓。

夜勤明けに、飛行機に乗って東京へ帰ることになっていた。夜の間もやもやし、明け方からぐっと進み出したお産。経産婦さんだしすぐに生まれるかなと思い、自分なりに時間を一緒に過ごし、体勢を変えてみたり栄養を取ったり、いろいろな促進方法を試してみたけれど、もう少しかかりそうだ。これは、日勤さんにバトンタッチしよう。そう思ってご挨拶をしようとしたら、その産婦さんが「あなたに腰を押してもらえると陣痛の痛みが全然なくなる。あなたがいるから頑張れる」とすがるような声でおっしゃられた。この場を去る、なんてとても言えない雰囲気だ。立ち会っている旦那さんに腰のツボの位置を伝えてみるけれど、全然だめ、と。他の助産師と交代しようとしても、あなたじゃなきゃだめ、と。そう言ってもらえることはものすごく嬉しいことだ。滅多にないありがたいこと。普段だったら、いくらでもご一緒したい。でも、飛行機の時間が迫っている。どうしよう。日勤の先輩からは厳しい視線。「どうするかさっさと決めて。患者さんが困るでしょう」と。ごもっともだ。

ものすごく悩んだ挙げ句、実は自分は飛行機に乗って実家へ帰るので○分になったら出発しないといけない。だから、その時間までご一緒させてください。その時間になったらバトンタッチさせてください、と伝えた。

そうこうするうちにお産は進んでおり、羊水を包んでいる卵膜はパンパンで、破水したら一瞬で生まれそうではある。人工破膜をすることも頭をよぎるが、児の頭がまだ若干高い。破水すると赤ちゃんがしんどくなり、心音が下がって不要な医療介入が必要になる場合もある。自分が最後まで責任を持てない場面でリスクのある行動をするのは無責任だ。無理はしない方が絶対に良い。ぎりぎりの時間までねばったが生まれず、時間が来て、必ず生まれますからね、と握手して私は去った。予定していた空港連絡バスには間に合わず、自分の車で空港まで飛ばし、なんとか飛行機には間に合った。

中途半端なことをしてしまった。なにやってんだろう私と、後悔と自己嫌悪と疲労とが押し寄せて、飛行機の中ではぐったりと泥のように寝た。羽田に着いて機内モードを解除したら、先輩から無事に生まれたとメールが届いていた。私が去った実に9分後に生まれたそうだ。それを見て、張りつめていたものが切れて、どっと涙が溢れてきた。機内で一人で号泣。完全に情緒不安定のやばい人だったけれど、本当に安心したのだ。

あの涙はなんの涙だろうとずっと考えていたけれど、それはきっとあそこで人工破膜しないでバトンタッチできた自分に対しての安堵感だと思った。昔の私だったら、きっと人工破膜していた。時間の制約がなく、自分の時間をどっぷり仕事に費やせる今の状況だと、自分がつきたいお産には最後までつく、ということがいつもはできている。でも、制限がある中でも誠意を尽くして、自分にできる範囲をきちんと伝えて、自分なりにそのときできることをその都度葛藤しながら選んでいくことが、大切なのだと思う。子どもを持って、定時で帰らなければいけない先輩を見ていて、強くそう思う。私たちは、チームで動いている。ゴールは、私が取り上げることではなくて、元気な赤ちゃんが生まれてくること。少しだけ自分の成長を感じられた、助産師三年目の終わり。

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