修行僧

オンコールなので二十一時頃に早寝をして、結構寝たなと思って時計を見ても一時間くらいしか経っていなくてまた寝る、をさっきから繰り返している。刻みすぎて飽きたので、起きることにした。のび太のようにパタンキューできることが取り柄なのだけど、最近夜中に目が覚めるとその後眠れないことがときどきある。起きてしまえば、夜は長くてなんでもできるような気になる。一日なにもない日の朝のように、今日なにしよう、というわくわく感。結局たいしたこともせずに時間は過ぎていくのだけれど。

最近ものごとを考えるときに、突き詰めすぎずに「今日はここまで」と棚上げする癖がついてきた。近藤卓先生の言う、棚上げ。昔はそこと向き合いすぎて傷だらけになっていたように思うのだけど、防衛本能が働くのか最近はある程度のところで思考がストップする。意識的ではなく、思考が勝手にそうしてくれる。やめたやめた、という具合に。これはとても健康的なことだと思う。運動をずっとやってきたからか、物事と向き合い、乗り越えることこそ美学だと考える傾向がどうもあって、最近それを敢えて手放したいと思っている。

先日、産後のお母さんの授乳を見ながら母乳とミルクの話をしていたときに、お母さんが「ミルクあげたら負けだって気がするじゃないですか」と言っていて、おお、と思った。ファイティングポーズ。たしかに、お産の時もストイックに、「陣痛しんどいけど歩きます」という感じでお産と向き合っていた方。とても素晴らしいと思う半面、負けではないぞ、と思ってしまう。お産に立ち会っていた実母さんの声かけも、本人さんはとても頑張っている場面でも「まだまだ!」と、ストイック。なるほど、こういう環境で育たれたのかな、と眺めていた。親の影響は大きい。否定はしないが、産後しんどくなるのは、真面目でストイックな頑張り屋さんのタイプが圧倒的に多い。頑張っても思い通りにいかないのが子育てだから。いい具合に肩の力を抜いて、疲れたらミルクの助けも借りながら、人と比べず、やわらかく、自分と赤ちゃんのペースを作っていけばいい。と私は思う。今の状態はとてもよくできていること、母乳も徐々に増えていることをお伝えして、決して負けではないですよ、と伝えてみたけれど、伝わっただろうか。追って経過を見させてもらうことで、しんどくなったら助け舟が出せたら良い。自戒を込めて、こだわりを手放すことへの憧れを感じる。 

修行僧みたいだね、と前に言われたことがある。常にファイティングポーズ。修行は、意味があってある一定期間するのであればいいけれど、修行自体が目的になってはいけないって。修行して、自分にとって大切なものが見えたらそこで修行は終了。今度はその大切なものに向かって動けば良い。ストイックは悪くないけど、ストイックになる方向性はきちんと見定めなければいけんなあと思う。基本はゆるく、穏やかに。歳とった気がするけど、この感じは悪くないと思う。

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