済ます

最近、玄関の扉を開ける時はガラッとたくさん開かずにそうっと少しだけ開けるようになった。猫を五匹飼っていて基本的には家飼いなので外から帰ってきて扉を開けると待ってましたとばかりにやつらが飛び出してくるからだ。帰ってきたことにも気づかれないように、そうっと扉に近づき、そうっと開ける。夕べは、お産待機当番だったので職場から近い前に住んでいた家に泊まらせてもらったが、扉を開ける時に癖でそうっと開けてから、あ、ここ猫いないじゃんね、と可笑しくなった。習慣というのは、不思議なものだ。

オンコールの時は、いつ呼ばれてもよいように待機していないといけない。夕べは疲れていたので、帰ってからなにもしなくていいように、職場のクリニックで食事を済ませ、顔を洗い、歯を磨き、なんならシャワーも浴びて帰ったら〜と掃除のおばちゃんに言われ今日はいいです〜なんて言いながら職場を後にした。帰り道、こういう毎日することって、まるでタスクのようだなと思った。済ませる、という感覚。夜行バスに乗るときも同じ感じだ。最悪トイレでだって、顔は洗えるし、歯も磨ける。昔はそれでも別にオッケーだったが、最近はどうもそういうことに違和感を感じる。

食欲が満たせて、最低限の清潔が保てて、雨風凌げる暖かい場所で睡眠欲が満たせる。それはそれでありがたいのだけれど、それだけだとどうも心が満たされないようだ。仕事だし別に月に数回だったら我慢できるし、なんならそれを楽しめないこともない。でも、そこへの違和感を素直に感じられたことは良いことだと思う。

それはつまりどういうことかなと考えると、暮らすという実感の欠如かなと思う。最近は、外で食べるご飯よりもちょっといいものを買ってきて家で食べる方がしっくりくる。好きな器があって、好きな家具があって、おいしいコーヒーを買ってきて自分で淹れて家で飲む。お気に入りの猫をだっこして、ふうっとする。それだけでも私は十分ハッピーなのだと思った。

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