寛容

ちゃらちゃらしたものが、あまり好きでない。

 

はやり廃りに乗っかって、一瞬の華やかさを追うことが滑稽に見えるからだ。そういうものに対して嫌悪感を抱くトガッタ私、が顔を出す。「山ガール」然り、「○○ラン」然り。登山やランニングにおしゃれとか持ち込むのはやめてほしい。ここはもっとストイックな世界なのだから。そう思っていた。

 

そんな私だが、先日野外音楽フェスに行って、新鮮な体験をした。フェスなどあまり行ったことがないので、どんな格好をしたら良いのかわからなかったが、いわゆる自分が思う「フェスらしき格好」をしてみた。おめかしして、張り切ってフェスに乗り込んだ。しかし、一緒に行ったフェス慣れしている音楽好きの友人達はTシャツにジーパンにリュック。普段着の友人を前に、ちゃらちゃらした格好をしている自分がなんだか恥ずかしくなった。あれ、なんだか間違えた?

 

一方で、このフェスは、沢山のお店も出店していた。マーケットだ。細かいブースに分かれていて、雑貨から古道具からアクセサリーから衣類からおいしいご飯から、なんでも売っている。そこに集う人々も沢山いる。

 

参加アーティストが言っていたことばが印象的だった。「このフェスに来ている人は、音楽を聞きにきた人と、買い物をしに来た人ハッキリと二分されている。買い物をしに来た人は音楽には興味なさそうですね」。それを聞いて、正直私はマーケット側の人間なのかもしれないと思った。熱狂的に音楽を聞きにきたというよりは、大好きな友人と心地よく音楽が聞けたらそれでハッピー。音楽もそこそこに聞くけど、可愛い一輪挿しも欲しい。鳥取ではお目にかかれない珍しい雑貨も見たい。マーケットに来ている人たちのおしゃれな着こなしも興味深い。

 

音楽道最前線の人から見たら、邪道な存在かもしれない。それでも、そんな私を誰も邪険に扱わなかった。それはそれで、あたたかく受け容れてくれていた。一言にフェスと言っても、いろいろな要素が含まれていて、それらがやさしく共存していた。衝撃だった。

 

音楽や、スポーツは、自由なのだ。すべてのことは、突き詰めればどこまででも深められる。でも、玄人以外足を踏み入れるべからず、と敷居を高くしても狭くて退屈で広がりがない。間口を広げて、いろいろな人が興味を持つ入口を作ることがとても大切。そして、それらを否定せず、あたたかく受け容れる気持ちを持つ。格好に、間違いなどないのだ。ちゃらちゃらしたもの、と一蹴しないようにしよう。なんだか、今までいろいろとごめんなさい。

 

いつも私が感じていた構図が逆転した、とてもおもしろい出来事だった。フェス、奥深し。おかげさまで、少しだけ足を踏み入れためくるめく音楽の世界を堪能する日々である。

森、道、市場 | 2016〜つながる空と色を探しに海へ〜

 

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