私はちょうちょ

ミナペルホネン皆川明さんのお話を米子に聞きに行って来た。本当に謙虚で素晴らしい方で、感動した。ミナの服は高くてなかなか手が出ず、マスキングテープを大人買いする程度だったが、これだけ想いを持って作られているものであればお金を貯めていつか是非買いたいと思った。

ミナは生地から手作りしているという認識はあったが、実際に生地の製造過程を見ると、工場での人間味溢れる手仕事がかなり多く、驚いた。お店で飾られているミナのシュッとした雰囲気とギャップを感じた。そして皆川さんは、染める人、織る人、刺繍をする人…生地が出来、服が出来上がるまでの過程それぞれの作り手すべてを大切にする。デザイナーやパターナーなどある特定の者だけが偉い、というヒエラルキーではなく、皆がチームで皆で同じ方向を向いてものづくりをしている。

 

「作り手の労働が幸せにならないと、着る人一人だけが幸せになるだけでは全く足りない」

 

作り手の労働が幸せになること。労働力として安い賃金で働かされるのではなく誇りを持って皆が自分の仕事を全うする。それだけの対価も支払われること。まさに、レンガ積みの話とリンクする。レンガを積むことが目的ではなく、お城を造る為のレンガを積んでいるという意識。

私の職場の大好きな助産師さんは、率先して助手さんの仕事を手伝う。お産の時に汚れたシーツの下洗いや、産婦さんが退院した後の部屋の掃除や洗濯など。助手さんのお陰で私達は仕事できているんだよ、と常々言われる。その姿に、恥ずかしながら最初はとても驚いた。以前私が大きな病院で働いていた時は、掃除は掃除のおばちゃんの仕事だと思って疑わなかった。掃除のおばちゃんに「看護師さんはいいわよね、掃除しなくていいんだから」と言われた時に、なんともいえない気持ちになった記憶がある。医師が偉くて、看護師がいて、と謎のヒエラルキーではなく、皆チームで患者さんと関わっている。分業も必要だが、当たり前ではなくそれぞれの役割に感謝する。そういうことだよなあ、と皆川さんの話を頭が下がる思いで聞いていた。

こんなに人気ブランドになっても皆川さんが謙虚な姿勢でおられるのは、自身が学生時代あまり成績は良くなく、魚市場で働いたり縫製工場で服を作ってきたりしてきた「労働の価値が見えている」人であるからだ。「近江商人の三方よし」では、売り手、買い手、社会の三方が良くなるように、と言われているが、皆川さんはこれにさらに「作り手」と「未来」も加えて、五方よしにしたい、と言う。

 

「作り手が持っている時間————作業するだけでなく、材料ができあがるまでの時間などそこに積み上がってきた時間。それらを、使い手が受け取って何十年も使っていくならば、作るために流れてきた時間と十分交換できる。丁寧に時間をかけて作られたものには敬意を感じる。敬意とともに暮らす、ということはとても豊かだと思う。」

 

まさに、五方よしだ。なんてハッピーな世界だろう。

今の時代、「こうである」という思いを主張するために、他のものを否定する風潮があると思う。皆川さんは、それと遠く離れたところにおられるという印象を持った。とにかく、やわらかい。それはそれでいいけれど、ぼくは違うものを目指している、というスタンス。だめではないけれど、ぼくはそれをかなしいと感じる、というように。本物だと感じた。

本当に素晴らしい時間だった。春になったら、ミナを着て旅に出よう。

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