済ます

最近、玄関の扉を開ける時はガラッとたくさん開かずにそうっと少しだけ開けるようになった。猫を五匹飼っていて基本的には家飼いなので外から帰ってきて扉を開けると待ってましたとばかりにやつらが飛び出してくるからだ。帰ってきたことにも気づかれないように、そうっと扉に近づき、そうっと開ける。夕べは、お産待機当番だったので職場から近い前に住んでいた家に泊まらせてもらったが、扉を開ける時に癖でそうっと開けてから、あ、ここ猫いないじゃんね、と可笑しくなった。習慣というのは、不思議なものだ。

オンコールの時は、いつ呼ばれてもよいように待機していないといけない。夕べは疲れていたので、帰ってからなにもしなくていいように、職場のクリニックで食事を済ませ、顔を洗い、歯を磨き、なんならシャワーも浴びて帰ったら〜と掃除のおばちゃんに言われ今日はいいです〜なんて言いながら職場を後にした。帰り道、こういう毎日することって、まるでタスクのようだなと思った。済ませる、という感覚。夜行バスに乗るときも同じ感じだ。最悪トイレでだって、顔は洗えるし、歯も磨ける。昔はそれでも別にオッケーだったが、最近はどうもそういうことに違和感を感じる。

食欲が満たせて、最低限の清潔が保てて、雨風凌げる暖かい場所で睡眠欲が満たせる。それはそれでありがたいのだけれど、それだけだとどうも心が満たされないようだ。仕事だし別に月に数回だったら我慢できるし、なんならそれを楽しめないこともない。でも、そこへの違和感を素直に感じられたことは良いことだと思う。

それはつまりどういうことかなと考えると、暮らすという実感の欠如かなと思う。最近は、外で食べるご飯よりもちょっといいものを買ってきて家で食べる方がしっくりくる。好きな器があって、好きな家具があって、おいしいコーヒーを買ってきて自分で淹れて家で飲む。お気に入りの猫をだっこして、ふうっとする。それだけでも私は十分ハッピーなのだと思った。

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今でこそ、すっかり隠居生活というか完全なる文科系に落ち着いていて、こちらの方がよほどしっくりくるのだが、中高大学時代の私は、それはもう運動ばかりして過ごしていた。

大学時代は、ラクロスという、網がついた棒を持ってボールをゴールに投げ入れるスポーツを熱心にやっていた。真っ黒に日焼けし、髪は常にショートカット。毎日毎日運動しては、うおーと目標に向かってとにかく頑張る。ラクロスが好きというよりは、頑張っている自分が好きだったし、頑張っていることで安心していたように思う。今思えば結構それって危ういなとも思うのだけど、あの頃は疑いもなく突き進んでいた。

後から考えると、大学という長い四年間、もっと色々なことに興味を持って色々な所へ行ったりしてもよかったのでは、と思う自分も少なからずいる。だからこそ卒業して社会人になってからこんなに紆余曲折しているわけで、大学時代にもっといろんな選択肢を考えていたら、と思うことは結構ある。たら、れば、なんて存在しないし、あれはあれで自分には必要な時間だったともちろん思ってはいる。今はもう現役を離れて十年以上経過し、東京も離れ、運動も最近しなくなり、遠い昔の記憶となりかけていた。

でも、最近あれ、と感じる瞬間がよくある。

先日、『百円の恋』という映画を見ていたとき。ラストのシーンでボクシングの試合に負けた主人公の女の子が「勝ちたかったよ…」と涙を流すシーンを見ていたら、ラクロスの試合が終わったときの感情が急に蘇ってきた。もっとやれたのにという後悔があると、私は泣けなかった。もっとあの練習をしておけばよかった。そう思うと、せっかくの試合の場を無駄にした虚無感と皆への後ろめたさに苛まれて、周りは泣いていても私は泣けなかった。だから、大学四年の最後の引退試合の前は、もうあの気持ちだけは味わいたくないと思って、後悔のなきように自分なりに全部やった。やりきったら、涙が出た。あの涙だよね、これ!と、主人公の女の子に異常に共感した。勝ちたかったよね、でもね、やりきらないとその涙ってでないんだよ!て思って、なぜか私も涙が出た。(ばばあ化)

最近、慣れない執筆の仕事をしていたのだが、うまく書けなくて凹んでいる時も、最初から活躍できるわけはないから、後悔だけはなきように今できることを最大限にやるしかない。新入生はへたくそでも、こぼれ球を必死に拾うことで意味があったものね、と言い聞かせている自分がいた。助産師になりたての頃もそうだ。できないなりに、誠意を持ってできることをしていくしかない。そういう精神は、やっぱり部活で培ったし、大人になった今、自分の支えとなっているなと思う。

みんなでわーっとなって一体感!みたいなアツい感じは、歳をとったせいか正直もういいかなと思うし、頑張るという言葉も今はあんまり好きじゃなくなった。頑張るよりも、心地よさとか、ワクワクを大切にする方が健康的だなと思う。好きなことは楽しいから一生懸命やるし、頑張ってやることは「あ、今自分頑張っちゃっている状態だ」と意識できるようになってきた。でも、運動をしてきたからこそ感じる思いは、絶対に今の自分の礎となっているし、ああやっぱり無駄ではなかったよなと思う。部活に時間を費やすこと自体より、試合に勝つ、とかこれをやり遂げる、という目標に向かって猪突猛進してしまうことに修正が必要だったかなと思う。やり遂げて終わり、ではなくて、それをどう生かしていくか、まで考えていきたいというのが今でも課題。たとえば、良い文章を書きあげる!で書き上げて打ち上げ花火で終了ではなくて、どうやったらそれを人に届けられるか、まで広げて考える。とか。

大学のラクロス部の後輩たちが快挙を遂げて、我々の時代から目標にしていた関東学生日本一にあと一歩というところまで来ているそうだ。誇らしい。みんな、これから生きていく上で必要な何かを掴んで、それを広げていって欲しいな。遠く鳥取から念を送っておきます。泣けるといいね。

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修行僧

オンコールなので二十一時頃に早寝をして、結構寝たなと思って時計を見ても一時間くらいしか経っていなくてまた寝る、をさっきから繰り返している。刻みすぎて飽きたので、起きることにした。のび太のようにパタンキューできることが取り柄なのだけど、最近夜中に目が覚めるとその後眠れないことがときどきある。起きてしまえば、夜は長くてなんでもできるような気になる。一日なにもない日の朝のように、今日なにしよう、というわくわく感。結局たいしたこともせずに時間は過ぎていくのだけれど。

最近ものごとを考えるときに、突き詰めすぎずに「今日はここまで」と棚上げする癖がついてきた。近藤卓先生の言う、棚上げ。昔はそこと向き合いすぎて傷だらけになっていたように思うのだけど、防衛本能が働くのか最近はある程度のところで思考がストップする。意識的ではなく、思考が勝手にそうしてくれる。やめたやめた、という具合に。これはとても健康的なことだと思う。運動をずっとやってきたからか、物事と向き合い、乗り越えることこそ美学だと考える傾向がどうもあって、最近それを敢えて手放したいと思っている。

先日、産後のお母さんの授乳を見ながら母乳とミルクの話をしていたときに、お母さんが「ミルクあげたら負けだって気がするじゃないですか」と言っていて、おお、と思った。ファイティングポーズ。たしかに、お産の時もストイックに、「陣痛しんどいけど歩きます」という感じでお産と向き合っていた方。とても素晴らしいと思う半面、負けではないぞ、と思ってしまう。お産に立ち会っていた実母さんの声かけも、本人さんはとても頑張っている場面でも「まだまだ!」と、ストイック。なるほど、こういう環境で育たれたのかな、と眺めていた。親の影響は大きい。否定はしないが、産後しんどくなるのは、真面目でストイックな頑張り屋さんのタイプが圧倒的に多い。頑張っても思い通りにいかないのが子育てだから。いい具合に肩の力を抜いて、疲れたらミルクの助けも借りながら、人と比べず、やわらかく、自分と赤ちゃんのペースを作っていけばいい。と私は思う。今の状態はとてもよくできていること、母乳も徐々に増えていることをお伝えして、決して負けではないですよ、と伝えてみたけれど、伝わっただろうか。追って経過を見させてもらうことで、しんどくなったら助け舟が出せたら良い。自戒を込めて、こだわりを手放すことへの憧れを感じる。 

修行僧みたいだね、と前に言われたことがある。常にファイティングポーズ。修行は、意味があってある一定期間するのであればいいけれど、修行自体が目的になってはいけないって。修行して、自分にとって大切なものが見えたらそこで修行は終了。今度はその大切なものに向かって動けば良い。ストイックは悪くないけど、ストイックになる方向性はきちんと見定めなければいけんなあと思う。基本はゆるく、穏やかに。歳とった気がするけど、この感じは悪くないと思う。

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蓋事情

区切りというものは、便利なものだと思う。新、ということばに乗っかって、二の足を踏んでいたことにもえいっと飛び込めるし、もやもやしていたことも水に流してしまえる。春という季節も良いのだと思う。どんより曇り空、寒くて常に首をすくめていた季節が終わって、薄着でひなたぼっこができる。野にも色んな色の花が咲いて、グレー一色だった景色に色が戻ってくる。とにかく希望と可能性に溢れている。

くさいものには、蓋を。これはある意味とても健康的で、精神的に弱っているときに敢えてくさいものを嗅いでさらに疲弊するのはしんどい。そう思ってきたけど、蓋をあけるタイミングを失ったくさいものは、中でどんどん腐敗していって、蓋をしてはいるものの若干蓋からくささも滲みでていたりして、いつまでも残る。私はそこから動けず、時は止まったまま。開けると感情が溢れ出して、蓋をした瞬間に舞い戻る。日にちぐすりは確かにあるけど、蓋すりゃいいってものでもないなあと学んだ年だった。薄々気付いてはいたけど、実感として、痛感。

いったん蓋をするのはありだ。だけど、いったん蓋をしてもなかったものにはせずに、今なら大丈夫だと思えるときに、一人ではなく誰かと一緒に蓋を開けて、しんどさも共有できたら、時は動き出し、次に進める。蓋を開けて溢れ出す中のものも感情も、すべて水で洗い流して、ぴかぴかにしてやればいい。きっかけは大切。そして、こだわって動けずにいたのは案外自分だけだったりすることに気付いた。あほくさ。「春だしね」今年はこの言葉を唱えながら、いい感じに気持ちを切り替えられた。蓋しようと思ったことも、蓋するまえにえいっと動いて中をきれいにできた。我ながら、ナイスな幕開け。春。

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しだれ桜

スタッドレスタイヤをノーマルに取り替えて、ようやく冬を終えた気持ち。春が嬉しくて過ぎていくのがもったいなくて、最近仕事前に家を三十分早く出て、春を味わっている。昨日温泉でおばちゃんが教えてくれたしだれ桜のきれいな場所。知らない場所をいくつも教えてくれた。やはり共同浴場は、小さなサロン。あそこの桜はまだ五分咲きだとか、あそこはあの時間帯が穴場だとか。みんなが春に向いている気持ちを共有して、情報交換できる。

SNSは桜ばかりで、わりと冷めた目で眺めていたが、これはつい撮っちゃうよね、と気持ちがわかった。みんな、春が嬉しくて仕方ないのだ。そして、私は羨ましかったのだと気づいた。トットリにも来た来た、春。野菜ジュース片手に優雅なモーニング。ビール飲みたい。f:id:saorelax:20180328081334j:plain

過程

先日、大山に住む絵描きの朝倉弘平くんのライブペイントに行ってきた。生原幸太さんのヴィオラに合わせて弘平くんがその場で絵を描いていく、というもの。耳をすませて、聞こえた音に対してまっさらな白いキャンバスに色がついていく。この音を鳥の鳴き声と感じたんだ、とか、聞こえた音が弘平くんのフィルターで変換されて絵になっていく様子がとても興味深い。出来上がった絵は、途中の絵からは想像もできないような完成されたもので、過程が見れるということに私はすごくワクワクした。

以前、ほぼ日刊イトイ新聞の今日のダーリンを糸井さんが書く様子を映像で中継する、という企画があったけれど、それもとてもおもしろかった。糸井さんが書いては消して、書き直していく頭の中が見えること。単語を変えたり、ことばや言い回しを変えたり。今日のダーリンは大好きで毎日読んでいたけど、こうやって作られているんだ、という過程が見えて一層好きになった。完成されたものには、当たり前だけど過程があって、一発勝負のものももちろんあるだろうけど、やはり勝負にかかる前に作る人の感情や心境や想いが介在する。そこに人間らしさや親近感を感じるのだろうか。

そんなことをぼんやり考えながら、ライブペイントの後に温泉に行ったら、小さな女の子が私を指差して「あれ誰ー?」と、お母さんに言った。こちらもひょうきんモードになり「誰だろうね〜」なんて返して「コラッ!ごめんなさいねーお姉さんよ」なんて会話が続いたけれど、これまたおもしろいなあと思った。「あれ誰?」つまりフーイズザット。間違ってない。強いて言えば、「あれ」だと物に対して言う感じでちょっと相手に対して失礼だから、「あの人」だとベター。でも、何?ではなく誰?と言えたのは正解、とかそういう感じだよなあ。

穂村弘さんは、短歌とビジネス文書では良さが逆になると言っていた。たとえば、「空き巣でも入ったのかと思うほど私の部屋はそういう状態(平岡あみ)」。これは、「そういう状態」だからぐっとくるのであって、「私の部屋は散らかっている」では全然おもしろくない。「散らかっている」の方が世間一般的には状況が的確に伝わって正しいとされているにも関わらず、だ。大人になると、こうして修正がかかる。たとえば、さっきの女の子の例でいえば、「あれ誰?」だと失礼だから「あの人誰?」だよな。でも、「あの人誰?」て言うのも失礼だから、思っても言わないでおこう、とか。そういうごにょごにょが頭の中で繰り広げられて、粗相しない、お行儀の良い失礼じゃない人間が出来上がっていく。その過程を経ず、思ったことをそのまま口にする女の子に、清々しさというか人間らしさを垣間みた。その日ずっと考えていた「過程のおもしろさ」がそこに繋がり、湯に入りながら一人でニヤニヤしていた。おしまい。

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9分後

あの時、あの判断でよかったのかな、と今でもあの場面を鮮明に思い出す。

私たち助産師は、チームで動いている。自分の時間帯で生ませてあげたいという意識が働くと、絶対に焦る。完全に自分のエゴだ。前にそれで何度も失敗している。早く生まれるような助言や援助は大切だけど、何をやっても進まない時はあるし待つしかない時もある。時間を気にしてはいけない。これは絶対的な教訓。

夜勤明けに、飛行機に乗って東京へ帰ることになっていた。夜の間もやもやし、明け方からぐっと進み出したお産。経産婦さんだしすぐに生まれるかなと思い、自分なりに時間を一緒に過ごし、体勢を変えてみたり栄養を取ったり、いろいろな促進方法を試してみたけれど、もう少しかかりそうだ。これは、日勤さんにバトンタッチしよう。そう思ってご挨拶をしようとしたら、その産婦さんが「あなたに腰を押してもらえると陣痛の痛みが全然なくなる。あなたがいるから頑張れる」とすがるような声でおっしゃられた。この場を去る、なんてとても言えない雰囲気だ。立ち会っている旦那さんに腰のツボの位置を伝えてみるけれど、全然だめ、と。他の助産師と交代しようとしても、あなたじゃなきゃだめ、と。そう言ってもらえることはものすごく嬉しいことだ。滅多にないありがたいこと。普段だったら、いくらでもご一緒したい。でも、飛行機の時間が迫っている。どうしよう。日勤の先輩からは厳しい視線。「どうするかさっさと決めて。患者さんが困るでしょう」と。ごもっともだ。

ものすごく悩んだ挙げ句、実は自分は飛行機に乗って実家へ帰るので○分になったら出発しないといけない。だから、その時間までご一緒させてください。その時間になったらバトンタッチさせてください、と伝えた。

そうこうするうちにお産は進んでおり、羊水を包んでいる卵膜はパンパンで、破水したら一瞬で生まれそうではある。人工破膜をすることも頭をよぎるが、児の頭がまだ若干高い。破水すると赤ちゃんがしんどくなり、心音が下がって不要な医療介入が必要になる場合もある。自分が最後まで責任を持てない場面でリスクのある行動をするのは無責任だ。無理はしない方が絶対に良い。ぎりぎりの時間までねばったが生まれず、時間が来て、必ず生まれますからね、と握手して私は去った。予定していた空港連絡バスには間に合わず、自分の車で空港まで飛ばし、なんとか飛行機には間に合った。

中途半端なことをしてしまった。なにやってんだろう私と、後悔と自己嫌悪と疲労とが押し寄せて、飛行機の中ではぐったりと泥のように寝た。羽田に着いて機内モードを解除したら、先輩から無事に生まれたとメールが届いていた。私が去った実に9分後に生まれたそうだ。それを見て、張りつめていたものが切れて、どっと涙が溢れてきた。機内で一人で号泣。完全に情緒不安定のやばい人だったけれど、本当に安心したのだ。

あの涙はなんの涙だろうとずっと考えていたけれど、それはきっとあそこで人工破膜しないでバトンタッチできた自分に対しての安堵感だと思った。昔の私だったら、きっと人工破膜していた。時間の制約がなく、自分の時間をどっぷり仕事に費やせる今の状況だと、自分がつきたいお産には最後までつく、ということがいつもはできている。でも、制限がある中でも誠意を尽くして、自分にできる範囲をきちんと伝えて、自分なりにそのときできることをその都度葛藤しながら選んでいくことが、大切なのだと思う。子どもを持って、定時で帰らなければいけない先輩を見ていて、強くそう思う。私たちは、チームで動いている。ゴールは、私が取り上げることではなくて、元気な赤ちゃんが生まれてくること。少しだけ自分の成長を感じられた、助産師三年目の終わり。

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