機能

服を、防寒の観点でしか見ていなかった。

東京に帰って思ったこと。たまたま東京が暖かかったこともあるが、そうだ、服っておしゃれするためにもあったよね、とはたと気付いた。最近寒さにとらわれすぎて、とにかく少しでも暖かい格好をとばかり考えていた。暖かい格好3パターンくらいをローテーションで着る。特に何の感情も抱かず、適当に着ていた。東京は暖かくて、鳥取仕様の戦闘態勢の服装では暑くて仕方なかった。一枚脱ごうにも、脱ぐというシチュエーションまで考慮していないもったりとした格好なので、脱げない。これはまずい。

大人になって自分の好きなものがわかってきているので、そうたくさんの洋服はいらないかなと思っている。物は減らす傾向へ。たくさんの服よりも、気に入ったものを大切に使う。ベリーグッドではなくグッドイナッフの精神はとても気に入っている。でも、寒くない・皮膚を覆う、という機能だけで服を着るのは、なんだかとっても味気ない。最低限必要なものに加えて、やっぱり機能プラスアルファの部分が欲しいときもある。そういう余白みたいな部分も、結構だいじだよなあ。服には、気持ちをハッピーにさせる力がある。それさえも忘れるくらい、今年の冬はとにかく寒かった。私の家が寒かった、の方が正しいか。古民家の冬の寒さは生半可じゃない。おみそれました。

春に季節が傾いているからか、気持ちも少し外向きになってきた。冬眠していた熊も、のそのそと外の様子をのぞき出す。もう少しでこの家に住んで一年が経つ。春になったら、ひらとした服を着て出かけよう。

 

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東京

急にお休みができたので東京に帰ってきた。服に小さな水玉のような丸い雪がまとわりつく鳥取を後に、弾丸帰省。遅れてきたお正月。飛行機がちゃんと飛んでくれるようでほっとする。最近、飛行機とはてんで相性が悪い。飛行機が離陸して、雪雲の中に突入するとぐらぐらと揺れる。これがずっと続くと厳しいな、というほどのぐらぐら。そういえば、先日鼻炎で鼻が完全に詰まった状態で飛行機に乗ったら、のたうち回るほどの耳痛に襲われたのを思い出した。航空性中耳炎というらしい。車で十二時間かかる距離を一時間ちょっとで飛んで行くだなんて、やっぱりとんでもない魔法みたいなことだよなあとぼんやり考える。

もったりとした雪雲を抜けたら、雲の上には眩しい太陽が光っていた。雲の上は、晴れなのか。さっきまでのどす黒さは、すべてこの雲のせいだったのか。延々と続く雲と太陽のみの世界は、それはそれは天国みたいに明るくて、不思議な光景だった。目の前に見えているものがすべてに感じるけれど、この雪雲みたいに、一枚なにやら扉というかフィルム的なものをはがせば、案外こんな風に全く違う世界が広がっているのかもしれない。普段はトイレに動きやすい通路側の席にするのだけど、今回はなぜか窓側にして正解だった。いつもは夜勤明けで景色なんて見ないで爆睡するのに、今日は休みだったから外を見る余裕があってよかった。そんなことを考えているうちに、結局爆睡。東京は晴れ。暑い。

 

東京は2ヶ月ぶりだ。いつもと違うルートで実家へ帰る。中野坂上の、地下鉄の定期券売り場だった所にスタバができている。中学の時も高校の時も、そこで定期券を買っていた。うちから一番近い定期券売り場だったから常連だった。私が高校生の時に初めてバイトしたパン屋さん兼カフェのすぐ近く。改札をでてすぐだし、スタバだし、強敵ではないか。生存競争に敗れたかなとこわごわ覗くと、ちゃんとパン屋さんもあった。よかった。あったものがなくなることは、寂しい。新しいものが出来ると前何があったのかわからなくなる。当たり前のように、元定期券売り場のスタバでコーヒーを飲んでいるサラリーマン風の人々。頬杖を付いてなにやら深刻そうな顔して本とか読んでいるけど、そこは定期券売り場だったのですよ。と、こっそり見つめる。

ほとんどの人が、黒かグレーのコートを着ている。黒か、グレー。素っ頓狂な色の外套を着ている人はいない。大学生の頃、塾講師のバイトをしていた時に、スーツの上に紫色のコートを着ていた友人が、マリオみたいな風貌の塾長にこっぴどく怒られていたのを思い出す。黒かグレーの中に、目の覚める紫がいたらとても綺麗なのにな。そういう私も、グレーのコートを着ている。端から見たら、私も黒かグレーの人。走馬灯のように昔の記憶が蘇る。私の故郷は、ここ。

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抜きどころ

久しぶりに母たちのサロンを開催した。続けていくのは大変だという印象があったが、抜くところを抜いて、自分自身も肩の力ゆるゆるで場を持ったところ、びっくりするほど楽しかった。そして、最近ずっと考えているコミュニティーナースの産科版のヒントが少しだけ見えた気がした。キーワードは、頑張らないで続けていくこと。自分自身が楽しいこと。これだ。

ご縁があって松江で、昨年度鳥取で開催していたマドレボニータワーキングマザーサロン(的なもの)をすることになり、久しぶりなのでまずはホームの鳥取で練習がてらサロンを開くことにした。今回の鳥取サロンは、いつも使っていた会場なので電話一本で予約完了。チラシは敏腕メンバーが早々に作成してくれた。集客も、いつもは定員いっぱい集めないとと躍起になっていたが、今回はチラシを職場の産科クリニックに置いて、入院中のお母さんたちに声かけしたり、お産をしたお母さん達へ送る赤ちゃん一歳おめでとうハガキの余白で宣伝したりと、最低限のパワーでできた。一年のブランクがあったので、練習も相当せねば…と思っていたが、すべて暗記は無理と諦め、カンペ作成に尽力した。サロンの肝は最後の全体シェアリングの部分だとわかっていたので、その部分はメンバーで集まってプチサロンを開いて詰めておいたので安心できたのかもしれない。つまり、抜きどころを抜きまくったので、準備は全然大変じゃなかった。

いざ、サロン当日。久しぶりのサロンは緊張したが、安心できるメンバーのもと、一年前の時が戻ったかのようなあたたかい場。たたた、たのしい!進行役をメインでやっていた一年前は、次期進行役を鳥取から輩出させねば…と意気込んでいたため、サロン自体も「うまくやらなくちゃ」とファシリテーターの私自身が正解を求めて力が入りすぎていたように思う。場数を踏んだからか、時を経たからか、次のサロンの予定がない単発だからかわからないが、うまくやるよりも、貴重なこの場自体を楽しむことができた気がする。参加者の母たちの口から出てくることば全てが新鮮で愛おしくて、この時間が続けばいいなと思えた。クリニックにいる時は、やはり母になりたての女性に育児を伝える助産師、という立場だ。だから、母という役割も含めて一人の人として女性と向き合えるサロンの場は、トータルでその方を見ることができる良い機会になった。サロンの会場を、お金がかからないクリニック内のホールにしようかとも考えたが、やはり立場が混在しない違う場所での開催でよかった。

特に印象に残ったのは、一年以上前にうちのクリニックでお産をされたお母さんのことばだ。初めてのお産だったが、入院中はニコニコ笑顔で育児も楽しそうにされていた。産前クラスでお産を目前をした母たちへお産の体験を話してもらったりした。一ヶ月健診の時も、順調そうだった。だから、これからもこの感じで自分のペースでゆったりと育児を続けていくだろうと安心していた。その方が、一ヶ月健診の後くらいから、精神的に不安定になって、パートナーとの関係性もちぐはぐになり、かなりしんどい時期があった、とサロンで話されていた。今は越えたけど、あの時は本当にしんどかった、と。衝撃だった。そして、やはりクリニックにいるだけでは見えないものがあるのだと思った。私の勤めているクリニックは前にいた大病院と違って、産後もかなりお母さんたちと近く、継続的におっぱいフォローや電話訪問などもできていると思う。それでも、やはり一ヶ月健診を終え、足を運ぶきっかけがなくなると、お母さんたちは孤独になってしまうのだと思った。だから、たとえばこういうサロンのような場だとしても、子育て支援センターとはまた違う、お産や産直後の時間を共にした助産師と繋がっていられる場所が必要なのだと思った。

コミュニティーナースの産科版的なことができたらいい。どういう形が良いのかと最近ずっと考えているが、これもひとつの形だと思った。自分からぐんぐん外に行けない人でも、クリニックの紹介ならばなんとか足を運べる。そういうツールとしてサロンを使うのも良いかもしれない。

私がしたいことは、私の周りにいる目の届く範囲のお母さんたちがまずはハッピーになること。自分のキャパを越えて、鳥取、米子へと進出せずとも、クリニックと繋がった倉吉のこの地で、こういう場を定期的に作っていくことに意味があるのではないか。抜くところは抜いても、抑えるところをしっかり抑えれば十分意味はある。

サロンのために学んだマドレの研修で、「ここで学んだことを、自分の土地で活かしてください」と言われた。このプロジェクトの目的は、マドレを広めることではなくて、産後ケアが当たり前に受けられる社会にしていくこと。利益目的ではなく、社会を良くすること。なんて太っ腹なんだと感動したのを覚えている。それって、こういうことだったのかなと、一年以上の時を経て感じるものがあった。良い機会だった。

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当事者性

やるべきことは山ほどあるのだけど、思考が前に進まない。本を読んでも料理をしていても、ぐるりと同じところに戻って来る。理由はわかっている。先週末に幸雲南塾の最終発表プレゼンへ二年ぶりに行ってきた、その余韻だ。二年前、隣りで一緒に発表を眺めていた友人が、今回は壇上で発表していた。

雲南には、もやついている時にパワーをもらいに行く。目をキラキラさせて前のめりに活動している同年代の人達に会えるから。二年前もそうで、そこで「うおお」となり、私も何かしたいと思って、産後ケアが当たり前に受けられる社会の実現へ向かい活動しているNPO法人マドレボニータNEC ワーキングマザーサロン・プロジェクト鳥取チーム立ち上げ、進行役に挑戦したのだった。私にもできること。私がここにいる意味ってなんだろう。それをとにかく模索していた。マドレの活動はとても刺激的で、今でも繋がっている大切な人々との出会いがあった。

「圧倒的な当事者性のパワー」

今回の幸雲南塾で審査員の友廣裕一さんがおっしゃっていた言葉がとても印象に残っている。アレルギーのお子さんを持つFood maricoさん。外国人が住み良い町へ、と革新的な活動をされている韓国人のジェジンさんと芝さん夫妻。ご自身の産後の辛い体験から産後ケアの大切さの認知へと活動される助産師の高木さん(Nalu助産院)…。みなさん、自分達の経験を元に、それを自己完結で終わらせず、発信して、形にしている。

サロンをしていても感じたこと。私にとって一番弱い部分。それが当事者性だと思った。助産師として働いている上で、産後ケアの必要性はひしひしと感じている。だからマドレの考えにはとても共感して、「こういうものがあったらいい」と本気で思う。実際サロンを開催して手応えも感じた。こういう場はやはり必要とされている。でも、私自身が本気で求めていて、溢れ出てくる思いというよりは、「助産師として」立場的に頭で必要だと感じているに過ぎないのではないか、という後ろめたさはあった。活動が忙しくなると、タスク化してしまい苦しくなる部分も正直あった。

「すべき論」から解き放たれようと、旗ふり役を手放した昨年一年は、趣味に明け暮れた年だった。自分のしたいことを好きなだけできる自由さ。好きな本を読み、休みには好きな場所に行く。趣味の世界が広がっていって、たくさんの出会いがあり、心の底から楽しかった。でも、どこかすべきことから逃げているような感覚は常につきまとっていた。そんなもやもやの糸口を見つけたくて足を運んだ幸雲南塾だっただけに、感じるものが余計大きかったのだと思う。

今年の幸雲南塾で感動したことの一つが、自分だけのハッピーではなく、それが広がって他の誰かのハッピーにまで繋がっている点だ。ボランティアではなく、自分たちも健やかにし、さらにそれが経済としてまわっていく。これをしながら自分たちが暮らしていける新しい暮らし方を作って行くこと。赤ひげ先生のような自己犠牲ではなく、自分もまわりもハッピーになる。そんな世界はなんてワクワクするだろう。そして、発表している皆さんがとにかく楽しそうに見えた。もちろん、そこへ至るまでに大きな山や壁を越えて来たからこその笑顔だとは思うのだけれど。

 

自分も何かやりたい。でも、また苦しくなってしまうことへの怖さ。今の穏やかな生活の心地よさ。多忙は怠惰の隠れ蓑。考える時間すらない日々は、嫌だ。そんなもやもやをぐるぐるしている。でも、幸雲南塾の塾生達が皆口にしていたことば。一緒にいる仲間がいるから、大変でも楽しかった。そういう仲間は、私も欲しいなと思う。なんとなく方向性は見えるけど、まだもやっとしている暗闇を、闇雲な手探りではなくなんとかブレイクスルーしたい。

何かを始めたとしても、闇雲に頑張るのではなく、自分の中で大切にしている軸はぶれないようにすること。この一年で改めて自分にとって大切だと実感した、暮らしを大切にするということ。多忙すぎて思考さえもストップする貧しい精神状態にだけはしないこと。それさえきちんと持っていれば、その中で新たな挑戦をすることはありなのかもしれない。それか、私が旗ふり役をしなくても、ハブ的に誰かを繋ぐ役割だってあるかもしれない。

インプットだけでなく、アウトプットもしっかりと。たとえ途中だとしても、今の時点でのわたしをきちんと眺める。

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オイボッケシ

“Oibokkeshi”

老い、ボケ、死。ふつうだとネガティブな印象で目を背けたくなることたちだが、向き合うことでむしろプラスに向かうことができる。そう謳っている、岡山県奈義町で菅原直樹さんが作った老人が主役の劇団だ。最近、離れて暮らす祖母が認知症になり、老い、ボケ、死を身近に感じていた。もやもやと消化しきれない気持ちを抱えていたところだったので、とても興味深く動向を追っている。

 

ボケを正すか、受け入れるか。

理屈にこだわるよりも、感情に寄りそう関わりをすること。

 

先日、久しぶりに帰った実家で、遅い時間に家に帰ったら祖母が玄関でカンカンに怒って待っていて、支離滅裂な理由で大きな声で叱られる、という出来事があった。その時はあまりに驚いて自分も感情的になってしまったが、母に「明日には覚えていないから…」とたしなめられて初めて祖母の認知症というものをリアルに感じた。今までのしっかりしたおばあちゃん像が、ガラガラと崩れていく感覚。とてもショックだった。ボケを受け入れることは、どうせ言ってもわからないからと「おばあちゃんを見限る」ことに繋がるのではないか。ボケを正せば、元のしっかりしたおばあちゃんに戻るのではないか。そんな考えが行ったり来たりして、自分の中でずっともやもやと残っていた。

 

だから、菅原さんからボケを受け入れ、介護者は役者になって違う役割を演じることで相手とのその瞬間を最大限に楽しむといいという話を聞き、とてもしっくりきた。認知症になると、中核症状である記憶障害、見当識障害、判断力の低下はあるけれど、感情は残っている。ボケを正したとしても議論は平行線だし、悲しい、嫌な空気になりそうだ。さらに、菅原さんは、おばあちゃんは祖母という役割をやりたかったのかもしれない、と言われた。今まで、妻役割、祖母役割、親役割、など色々な役割を担ってきたのに、老人になると一気に役割がなくなる。そこで座ってテレビを見ていて…という退屈な日々の中で、久しぶりに遅く帰ってきた孫を叱る、というおばあちゃん役割を果たしたかったのかもしれない。そう考えるとなんだかむず痒い、嬉しい気持ちにもなった。明日どうなるかわからない九〇歳のおばあちゃんと交わる時間はとても貴重で、演劇を通じておばあちゃんの世界に入り込んで、喧嘩ではなく少しでもハッピーな瞬間を過ごせた方が絶対良い。

 

演劇には、今までほとんど関心がなかった。でも、たまたま読んだ平田オリザさんの本に感動し、青年団に興味を持ち、そうこうしていたら青年団の菅原さんが奈義町に移住され、出会い、私が悩んでいたことのヒントをくれた。繋がっていく感覚がありがたいし、たのしい。

 

発想の転換で、ため息でかすんだ未来がなんだかワクワク彩られた。これからも自分なりに咀嚼しながらオイボッケシと向き合っていきたい。

 

 

Oibokkeshi

motokurashi.com

私はちょうちょ

ミナペルホネン皆川明さんのお話を米子に聞きに行って来た。本当に謙虚で素晴らしい方で、感動した。ミナの服は高くてなかなか手が出ず、マスキングテープを大人買いする程度だったが、これだけ想いを持って作られているものであればお金を貯めていつか是非買いたいと思った。

ミナは生地から手作りしているという認識はあったが、実際に生地の製造過程を見ると、工場での人間味溢れる手仕事がかなり多く、驚いた。お店で飾られているミナのシュッとした雰囲気とギャップを感じた。そして皆川さんは、染める人、織る人、刺繍をする人…生地が出来、服が出来上がるまでの過程それぞれの作り手すべてを大切にする。デザイナーやパターナーなどある特定の者だけが偉い、というヒエラルキーではなく、皆がチームで皆で同じ方向を向いてものづくりをしている。

 

「作り手の労働が幸せにならないと、着る人一人だけが幸せになるだけでは全く足りない」

 

作り手の労働が幸せになること。労働力として安い賃金で働かされるのではなく誇りを持って皆が自分の仕事を全うする。それだけの対価も支払われること。まさに、レンガ積みの話とリンクする。レンガを積むことが目的ではなく、お城を造る為のレンガを積んでいるという意識。

私の職場の大好きな助産師さんは、率先して助手さんの仕事を手伝う。お産の時に汚れたシーツの下洗いや、産婦さんが退院した後の部屋の掃除や洗濯など。助手さんのお陰で私達は仕事できているんだよ、と常々言われる。その姿に、恥ずかしながら最初はとても驚いた。以前私が大きな病院で働いていた時は、掃除は掃除のおばちゃんの仕事だと思って疑わなかった。掃除のおばちゃんに「看護師さんはいいわよね、掃除しなくていいんだから」と言われた時に、なんともいえない気持ちになった記憶がある。医師が偉くて、看護師がいて、と謎のヒエラルキーではなく、皆チームで患者さんと関わっている。分業も必要だが、当たり前ではなくそれぞれの役割に感謝する。そういうことだよなあ、と皆川さんの話を頭が下がる思いで聞いていた。

こんなに人気ブランドになっても皆川さんが謙虚な姿勢でおられるのは、自身が学生時代あまり成績は良くなく、魚市場で働いたり縫製工場で服を作ってきたりしてきた「労働の価値が見えている」人であるからだ。「近江商人の三方よし」では、売り手、買い手、社会の三方が良くなるように、と言われているが、皆川さんはこれにさらに「作り手」と「未来」も加えて、五方よしにしたい、と言う。

 

「作り手が持っている時間————作業するだけでなく、材料ができあがるまでの時間などそこに積み上がってきた時間。それらを、使い手が受け取って何十年も使っていくならば、作るために流れてきた時間と十分交換できる。丁寧に時間をかけて作られたものには敬意を感じる。敬意とともに暮らす、ということはとても豊かだと思う。」

 

まさに、五方よしだ。なんてハッピーな世界だろう。

今の時代、「こうである」という思いを主張するために、他のものを否定する風潮があると思う。皆川さんは、それと遠く離れたところにおられるという印象を持った。とにかく、やわらかい。それはそれでいいけれど、ぼくは違うものを目指している、というスタンス。だめではないけれど、ぼくはそれをかなしいと感じる、というように。本物だと感じた。

本当に素晴らしい時間だった。春になったら、ミナを着て旅に出よう。

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素因数分解

長野県諏訪市にある建築建材のリサイクルショップ、

ReBuilding Center JAPAN”通称リビセン。松本にある大好きな本屋さん栞日 sioribiさんが、前から素敵だったけど大々的に改装し、開放的でさらに独創的な空間として生まれ変わった。それを担ったことで有名。今年の森道市場にリビセンのお二人が出店されていて、シュッとしすぎず気さくで愉快で、とにかく楽しそうに話す方だなあと印象に残った。そのリビセンの自費出版のちいさな冊子。これは読まなければと思ってネット購入した。鳥取では市内にあるホンバコさんで手に入るそうだが、若干遠いので自力で手に入れたところ、代表のアズノさんの手書きのメッセージと似顔絵が。こういう細やかな心遣いはぐっとくる。題字やデザインは松本で活動される詩人のウチダゴウさん(してきなしごと)。ゴウさんの文字は、細くて長くて、それでいて意思を持っていて、生きている感じがして好きだ。

解体される家や学校や公共施設。その際に出る廃材古材を待ち受ける運命は、ゴミとして焼却廃棄だ。リビセンは、それらをレスキューし生き返らせる。吉祥寺の名店「お茶とお菓子・横尾」の窓際カウンターとして使っていた古材が、横尾閉店時レスキューされ、武蔵境にある「お酒と料理えいよう」の大テーブルとして生まれ変わったそうだ。閉店は寂しいけれど、かつて自分も座ったカウンターが、また形を変えて生き続けていると思うと嬉しい。

粋だなと思ったのは、「お先にどうぞ」の精神。古道具屋さんであれ個人であれ、他の誰かに求められているのであれば、お先にどうぞ、とまずは待つ。これ以上引き取り手がいない段階になって、レスキューできるものをレスキューする。リビセンは、目の前の利益ではなく先にある景色を見据えている。「楽しくたくましく生きていける」これからの景色。

因数分解する」という発想もとても共感できた。コップはコップでしかなく、壊れたら壊れたコップとして廃棄して次のものを、ではなく、因数分解してもう一度作り直すという発想。これは何で出来ているのか。どうやって作るのか。素材や構造を知る。そうして初めて、直す、というイメージが湧いてくるのだ。私が、先日藍染めをしてしみがついて捨てようと思っていたパンツが生き返った時の感覚は、まさにそんな感じだ。そして、このポイントは、自分でできた、というところにあるかもしれないと思った。私にもできるじゃん、という感覚。目の前がワクワク可能性に満ちてくる。

 

「自由になるということは、自分で出来ることを増やしていくことなんじゃないかな、とここ数年思っている。自分でモノをつくり出せること、状況をつくり出せること、自分で考えられること。いざとなったら自分でどうにかできる。そんな心強さとたくましさをたずさえた自由に憧れる。」(P.32)

 

全部が全部自分でやれなくてもいい。でも、全部が全部業者さんではなく一部だけでも自分でやってみる、という発想。いいなあ、リビセン。古材を使ったDIY教室や金継ぎ教室などのワークショップもやっているらしい。今度是非行ってみたい。

ReBuilding Center JAPAN

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