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唸り声

地震

朝方、家に帰ったら、郵便受けにとってもいない新聞が入っていた。山陰中央新報さんの粋な計らい。こういう気遣いは本当にうれしい。松江の会社なんだ。隣の島根から温かい気持ちを受け取った。

帰りにスーパーに寄ろうかと思ったけど、東日本大震災の時、スーパーで買い漁る人々の殺気に飲まれて、なんだか何が必要だかよくわからないけど売っているものは買っておいた方が良いのかな、と思ったあの怖い感じが蘇ってきたのでやめておいた。水と米があれば、全然生きていける。丁度連続勤務だったため、芋やらかぼちゃやら、大量に食材も蓄えてあったので、とりあえず大丈夫。我が家は水はまだでないけれど、それ以外は普通だ。

夜中は、余震が怖くてほとんど眠れなかった。グオーという地響きが鳴り、少しするとグラッと揺れる。丁度ピカッと光って雷がゴロッ落ちる、あんな感じ。うとうとしても地響きが鳴るとパッと目がさめる。その繰り返し。地響きなんて、生まれて初めて聞いた。地面の奥の奥の方から唸ってくるような恐ろしい音。そんな中でも、お産の方はやってきて、元気に生まれてくる赤ちゃん。朝になり明るくなって、バタバタながら外来も始まり、人が集まってきて、ああ普通の日っぽい、とものすごく嬉しかった。

瓦の屋根はどの家も崩れ落ちていて、写真で伝えみる知人の家の中の惨状には唖然とするが、それでも時間は動いていて、人々が動き出している。
それを感じたら嬉しくてホッとして、家に着いたら泥のように眠った。

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地震

余震が十分おきぐらいにくる。こわい。
でも、東日本大震災の時は携帯も全く使えなかったから、電波があるだけ全然心強い。田舎だから混線しないのかな。

二十一時五十分に水道止まる。
マンションのタンクの底が尽きたのか。お隣の部屋の方がペットボトルの水を分けに来てくれた。「こういう時は助け合いですから」初めて話したがなんて優しい方。隣の部屋からこぼれ聞こえるガハハて笑い声にイラッとしたりしてごめんなさい。落ち着いたらお礼しよう。

蛇口を捻っても水が出なくなると、一気に心許ない気持ちになる。水が出る間にご飯3合炊いて、お湯沸かして温かいお茶を作っておいてよかった。
家を出るときに、なにを持っていくか迷う。一生ここに戻って来れないわけじゃあるまいし、とも思うけど、あれもこれも、と思ってしまう。こんな時に欲張り。最低限の貴重品と非常用リュックと、食料と、防寒具。心を落ち着かせるための好きな本。車があると、身一つで動くより心強い。最悪この中で寝られる、という安心感。道路は問題なし。電灯の点いている部屋は四部屋くらい。みんな避難所にいるのかな。

二十二時半職場に到着。
やはり人がいると安心する。クリニックの水も途絶えそう。水。ライフライン、ほんとに大切だな。少し寝よう。

地震

地震

勤務中に大きな揺れ。

最初は震度四で、患者さんの無事をひとまわり確認したその後にグラッとはんぱない揺れがきた。十月二十一日、十四時〇七分。震度六。ジェットコースターが落ちる時の一瞬無重力みたいに胃が浮くような感じがした。廊下にある花瓶が落ちてガシャンと割れて飛び散る破片。あの光景、音、スローモーションに記憶に残っている。これは、以前車に乗っていて事故った時の感じに似ている。

患者さんの無事を確認し外へ避難誘導。
なにをしたらいいのか、「落ち着いて、落ち着いて、」と何度も自分に言い聞かせた。でもすぐ頭がからっぽになる。何かがあると、ワッとそこにスタッフも集まるが、もっと全体を見て行動しなければいけない、と思って、全体を見ようと思った。
そんな混乱の中、元気に赤ちゃんが生まれた。
本当に希望だと思った。

 常に感じていたのは、なんて自分は無力なんだろう、ということ。災害拠点病院で働いていたことがあるのに、こういう時に率先して動けない。本当に、無力。考えて、思うことをとりあえずやった。 何度もくる余震。
「○○取ってきて!」と言われて病院の中や2階、3階に戻る度、「今建物が崩れたら終わる揺れるな揺れるな揺れるな」と何度も思った。怖かった。
駐車場の上にはずっとおそらく取材のヘリコプターがブルンブルン言いながら飛んでいたけど、そんな無駄に回旋するんだったら、この切迫早産の妊婦さんをさっさと搬送してくれればいいのに、と思っていらいらした。 家族がいなくて寂しいけれど、ひとりの家でこんな地震にあわなくて良かった。目の前のすべきことに没頭している方がいいし、誰か、しかもとても信頼している職場の方々がそばにいるから、怖いけどなんとか気持ちを保っていられた。 とりあえず、一段落していったん帰宅。

帰りに、白壁土蔵の辺りを通ったら、ガラスの破片だらけ。ショーウィンドウが割れたのだろうか。スーパーにも報道の人が来ている。マルイのスーパーは、店の軒先で水や食料を仮設のレジを作って売っていた。水2Lを1箱買う。とりあえず、水は必要そう。

水道が止まったやら停電やらと耳にしていたが、私のマンションは無事。冷蔵庫があいて棚のものが散乱しているけれど、基本的に家の中が雑然と散らかっているので、そこまで変わった光景に見えず、ホッとする。水も電気も復旧した後のようだ。ありがたい。 今晩は病院に戻って、はしっこの方で寝かせてもらう。少しは役に立てるかもしれないし。病院からもらってきたおにぎりを食べる。人の握ってくれたおにぎりは、本当においしい。 多くの方が、心配のメールをくれて心強い。ありがとう。

こんなにざわざわした自分の気持ちをよそに、いつも通りの日常が繰り広げられているSNSに違和感を感じる。でも、たまたま私が大きな地震のあった鳥取県倉吉市、という場所に住んでいた。それだけのこと。震災の方々はこんな気持ちなのだろうか、と少しだけ思った。 気を張っていたのが一気に緩んで足がなまりのように重たい。本当に疲れた。このまま床に寝転んで寝てしまいたいが、とりあえず病院に向かおう。

寛容

きづき

ちゃらちゃらしたものが、あまり好きでない。

 

はやり廃りに乗っかって、一瞬の華やかさを追うことが滑稽に見えるからだ。そういうものに対して嫌悪感を抱くトガッタ私、が顔を出す。「山ガール」然り、「○○ラン」然り。登山やランニングにおしゃれとか持ち込むのはやめてほしい。ここはもっとストイックな世界なのだから。そう思っていた。

 

そんな私だが、先日野外音楽フェスに行って、新鮮な体験をした。フェスなどあまり行ったことがないので、どんな格好をしたら良いのかわからなかったが、いわゆる自分が思う「フェスらしき格好」をしてみた。おめかしして、張り切ってフェスに乗り込んだ。しかし、一緒に行ったフェス慣れしている音楽好きの友人達はTシャツにジーパンにリュック。普段着の友人を前に、ちゃらちゃらした格好をしている自分がなんだか恥ずかしくなった。あれ、なんだか間違えた?

 

一方で、このフェスは、沢山のお店も出店していた。マーケットだ。細かいブースに分かれていて、雑貨から古道具からアクセサリーから衣類からおいしいご飯から、なんでも売っている。そこに集う人々も沢山いる。

 

参加アーティストが言っていたことばが印象的だった。「このフェスに来ている人は、音楽を聞きにきた人と、買い物をしに来た人ハッキリと二分されている。買い物をしに来た人は音楽には興味なさそうですね」。それを聞いて、正直私はマーケット側の人間なのかもしれないと思った。熱狂的に音楽を聞きにきたというよりは、大好きな友人と心地よく音楽が聞けたらそれでハッピー。音楽もそこそこに聞くけど、可愛い一輪挿しも欲しい。鳥取ではお目にかかれない珍しい雑貨も見たい。マーケットに来ている人たちのおしゃれな着こなしも興味深い。

 

音楽道最前線の人から見たら、邪道な存在かもしれない。それでも、そんな私を誰も邪険に扱わなかった。それはそれで、あたたかく受け容れてくれていた。一言にフェスと言っても、いろいろな要素が含まれていて、それらがやさしく共存していた。衝撃だった。

 

音楽や、スポーツは、自由なのだ。すべてのことは、突き詰めればどこまででも深められる。でも、玄人以外足を踏み入れるべからず、と敷居を高くしても狭くて退屈で広がりがない。間口を広げて、いろいろな人が興味を持つ入口を作ることがとても大切。そして、それらを否定せず、あたたかく受け容れる気持ちを持つ。格好に、間違いなどないのだ。ちゃらちゃらしたもの、と一蹴しないようにしよう。なんだか、今までいろいろとごめんなさい。

 

いつも私が感じていた構図が逆転した、とてもおもしろい出来事だった。フェス、奥深し。おかげさまで、少しだけ足を踏み入れためくるめく音楽の世界を堪能する日々である。

森、道、市場 | 2016〜つながる空と色を探しに海へ〜

 

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西瓜

思考の整理

マラソンをしている時は、あたまの中が自由になる。必然的にいろんなことをゆっくり考える良い機会になるから好きだ。

 

一〇キロメートル。バリバリ運動していた昔の私にとっては屁でもない距離だが、今の私にとってはこれが精一杯。でもこの一〇キロメートルを走る一時間が、なかなか奥深い自己内省の時間になるのだ。三年目の出場となる大会だが、過去二年は一人で参加していたので、終わった後のスイカを食べるのも一人だし、必然的に大会に出ること自体が目的になっていた気がする。タイムやペースも気にしつつ、結局自己満足、自己完結の世界。でも今年は、距離は違えど一緒に参加した方がいたこと、応援に来てくれた人がいたことが大きく違う。走っていて死にそうに苦しくても、終わったらみんなでスイカを食べよう、とか、どこかで私のことを見ていてくれている、という気持ちが一歩を踏み出す大きな支えとなった。びっくりするぐらい、精神的支えは大きい。

 

自分の気持ちの変化を敏感に感じ取るのもおもしろい。上り坂になると、練習不足がたたって沢山の人に抜かれて行く。私は本当に上り坂が苦手だ。男の人に抜かれるのは気にならないけど、女子に抜かれるとやっぱり悔しい。悔しいけど、足が動かないのだもの、仕方ない。もうこのまま朽ち果てるかと思いきや、少しして呼吸が安定してくると足が軽くなってまたスピードを取り戻す。気付くとさっき抜かれて姿も見えなくなった人が隣にいたりして、ああ、人生こんなもんだよなあと思う。平地や下り坂ならば、私は走れるのだ。上り坂でどれだけ抜かれても、他の所で取り返せばいい。自分にとって苦手なことも、隣の人にとっては得意かもしれないし、そこだけ見ると自分が落ちこぼれのように感じても、おしなべて見れば大して変わらないこともある。目くじらを立ててひとつひとつを人と比べるのはナンセンスだよな、とぼんやり考える。今年は腕時計を忘れてラップタイムをはかれなかったが、なんだかそれが逆に良かった。スタートして走り出して、ゴールする時に初めて自分のタイムを知る。こまめに自分の立ち位置を確認しなくたって、死ぬときに自分はこんなところにいたのか、と眺めるのも悪くない。

 

鳥取に来て一番良かったと思うことは、周りを気にしなくなったこと。同期もいないし、専門学校時代の仲間は年齢も状況も全く違うから比べる対象がいない。自分のペースで自分の好きなことができるようになった。初めて、のびのびと生きることができるようになった気がする。産後の授乳で悩むお母さんも、自分と赤ちゃんだけを見て一番良い状況を考えていけばそれで十分なはずなのに、みんな口を揃えて言うことは「お友達は完全母乳なのに、私だけミルクを足している」。状況はみんな違うのだから人と比べる必要はないのだけれど、そう思ってしまう気持ちも痛いほどよく分かる。見ないことが難しいのならば、見えないところに行けばいい。自分の傾向を知り、自分が心地よい方向へ自分を持って行く。思い切って逆サイドにボールを放ってみれば新しい世界が見えてくる。

 

そんなことにまで思いを巡らした一時間。巨大スペクタクルを終え、満足気にむしゃむしゃスイカを頬張る。これがないと、夏は始まらない。

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ふるさと

非日常じゃあにぃ

ずっと行きたかった津和野に行ってきた。絵本作家の安野光雅さんの故郷。石州瓦の優しいオレンジ色の瓦屋根の家々が軒を連ねる。津和野城跡のある高見から眺める津和野の町並みや、その中を黒煙を吐きながらのそのそ動くSLは、安野さんの書く旅のえほん、日本の懐かしき原風景そのものだった。感無量。

城下町の古い町並みや、大自然。歴史ある場所や風景、それらは確かに趣があって素敵だ。でも、それを言えば、私の住む倉吉の白壁土蔵群だって負けていない。白い漆喰の壁や土蔵の町並みは岡山の倉敷だってある。町並みや自然だけならば他にもあるのだ。そうしたら、津和野のスペシャルはなにか?と考えると、私にとっては安野光雅さんの故郷ということ、それに尽きる。以前に金子みすゞさんの故郷、山口県の仙崎に行った時も思ったが、やはり自分の好きな作家の軌跡や原点を知るためには、その人が吸った空気を吸い、その人が見た景色(時代と共に変わっているにしても)を見る。そして、その人を想いながらその土地を歩く。感じる。それこそ、そこでしかできない本当に尊い時間なのだと感じた。

 

東京を出て田舎に住むようになって、土地や町を見る視点が変わった気がする。前は、田舎は田舎なだけで都会とは違う場所でありスペシャルだった。でも、今はこの田舎は私の住む田舎と何が違うのだろう?と比べるようになった。この町は鳥取でいうどこら辺りに当たるかな、と考える。都市でも、大阪や神戸の関西圏が近くなったので、初めて行く街は東京でいうどこだろう、と。比較対象が増えることは、おもしろい。

 

確かに絶景やここでしか食べられないものはあるし、奇抜なイベントを企画して集客するという方法もあると思う。でも、今回津和野に行き、安野さんが猛烈に津和野を愛する気持ちが伝わってきて、その地に住む子どもに自分の田舎を大好きにさせることこそが、実は長い目で見て一番その土地を死なせない最善の方法なのではないかと思った。故郷を離れたとしても、こうして自分なりの表現で故郷を思い続ける。その思いが、全く関係のない私のような人間の心を動かし、車で6時間もかけて津和野まで足を運ばせた。子どもに「こんな場所、何もなくて退屈だ」と思わせず、「自分の原点はここにある」そう思ってもらえるような故郷を、大人の私たちも見つめ直すべきだと思った。

 

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故郷とはなんだろう?

たとえば故郷津和野には誇るべきものがたくさんある。森鴎外の生地だ。西周も生まれている。鯉がいる。鷺舞いが有名だ。稲成神社もある。城跡もある。と、津和野を訪ねてくれた人は、口をそろえてすばらしいところだとほめてくださる。

わたしは、それもそうだけど、と考える。わたしがこどもの頃から考えてきた故郷としての津和野は、そのような有名なことがらだけではなかった。有名でなくてもいい、そこには走りまわった山があり、いっしょに遊んだ友達の家があり、田舎の言葉が生きていて、九九を覚えさせられたりした小学校があるところ、故郷とはそんなところのことだ。正直に言うと、わたしは鴎外先生よりも小学校の先生の方が懐かしい。

                   (安野光雅

安野光雅美術館

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筍の教訓

きづき

私は往々にして、〇か一〇〇か、で考えがちだ。

 

料理は好きなはずなのに、新年度が思った以上に忙しくて、最近全く料理に気持ちが向かず、納豆卵かけご飯とパクチーラーメンをひたすら食べて過ごしていた。家に帰ってもパタンキュー。時間があっても、ぼんやり過ごす。家に食材はあるし、この食材でこれを作ろう、とまで考えているのに野菜室を開ける気すら起きない。口内炎だらけになっても、だから何?くらいの荒み様だった。

 

そうこうしているうちに、春が半分終わっていた。筍は、毎年米ぬかを吹きこぼしながら灰汁を抜いて、それが自分の恒例行事だったのに。売っている筍を横目で見ては、気まずい思いを抱きながらスルーしていた。食べたいならば、素直に水煮を買えばよかったのに、どうしてもそれができなかった。なんだか悔しくて。灰汁抜きせざる者、食うべからず。なんだそりゃ。倉吉弁でいうと、「なんだいや」。

 

そんな矢先に、灰汁抜き済みの筍の水煮を大量にいただいた。大切な人からもらうものは、なんだか素直にいただける。そして、めちゃくちゃおいしかった。旬、だもの。素直に、とてもとてもおいしかった。

 

こだわりを、手放す。今の私の大きな課題だ。手放してみると、実はなんてことなかったりするのだけど、またうっすら鎧を着込み始めてしまっている最近の私にとって、とても難しい。でも、筍を食べながら、今年もおいしい旬の筍を食べられて本当に良かったと思った。「ひとりでできるという傲慢さを手放して、素直に人に頼ること」。そう産後のママに散々呼びかけながら、実は自分自身に一番欠けていることだと、コリコリ食べながら噛み締めた。

 

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