リアルタイム

箱根駅伝が好きだ。何が好きかというと、一人一人のドラマがあるからだ。走る、という地味なことをひたすら毎日続けてきた若者たちの表情をあんなにアップで長時間見られるスポーツはない。彼らの裏話を実況中継から聞き、想像力を膨らませ、彼らの日々を思い感情移入する。正月は出来る限りテレビにかじりつき、彼らの表情を、ドラマを見逃さないようにしている。

今年は、往路が夜勤入り、復路が夜勤明けというシフト。往路も復路も両方見れる!と意気込んでいた。しかし、お産ラッシュの夜勤で一睡もできず、家にたどり着いたものの、眠気に負けて、テレビをつけたまますっかり寝入ってしまっていた。正気に戻った時には、大手町のゴールを背景に最後のエンドロールが流れていて、心からがっかりしてしまった。母校の勝利はめでたくはあるものの、どうやら正直勝敗は自分にとってそこまで重要ではないようだ。気を利かせた母が復路を録画しておいてくれたらしく、次回の帰省時に見る事ができそうでホッとしたが、どうも解せない。やはりリアルタイムに見て感じることに自分は価値をおいているらしいことに初めて気が付いた。驚きだった。 

以前、友人と旅行している時のことだ。その日は丁度、ワールドカップサッカーの日本戦があり、友人達は試合の動向に夢中だった。サッカーは嫌いではないが、目の前にある今しか感じられない貴重な景色に集中せずにスマートフォンの速報にかじりつく友人の姿に違和感を感じたことを覚えている。今をもっと感じようよ、そんなの後で見ればいいじゃない。リアルタイムがそんなに大切?と。鳥取に来てからテレビをほとんど見なくなり、映画も遅れてやってくることに慣れてきた。私自身、今目の前にあることを大切するように変化したのかとその時思ったが、どうもそうではないようだ。興味の程度によるのかしら。

リアルタイムである意義とは何か。私が今感じた感情を、既に誰かが味わっていることへの悔しさだろうか。今、この時箱根を走っている彼らと一体感を持ちたいのか。はたまた、過程が大切とは言いながら、結果がわかってしまったことでハラハラ感が減り、後で過程を見ても感情移入しきれない悔しさだろうか。とにかく、今年は往路をいつも以上に脇目も振らず一生懸命に見ていただけに、尻窄みの復路がなんとも消化不良で、苦々しく残った。結果を騒ぐ世間が、一枚膜を挟んだ向こう側にあるように遠い世界に見える。声もぼんやり聞こえる。ワタシモ、ナカマニイレテオクレ…。最前線で誰よりも熱く語りたかった。嗚呼。

実家で復路のビデオを見たあと、この感情に変化はあるのだろうか。その時にまた考えてみたいと思う。選手の皆様、こんな私が言う資格は全くないのですが、言わせてください。お疲れさまでした。心から。

目が覚める

どうやら、私の気持ちが被災者になっていたようだ。
家と職場の往復で、いまいち全体像を把握できていなかった。ようやく町に出て人と話して色々な話を聞いて、あれ、と違和感を感じた。案外、平気そうだぞ。 

新聞やニュースを見ると痛ましい被害の様子が映っており、ああ、私の目に見えないだけで、倉吉北栄三朝はどこもこんな状態なのかと思っていたが、そんなこともないようだ。確かに、瓦屋根がずれてブルーシートで補修したり、割れた食器等が散乱したお宅も多い。大きく揺れて一時混乱したのは事実だ。でも、どこもかしこも大きな被害に見舞われて町全体がシュンと静まり返っているわけではないことに、今さらながら気付いた。コンビニにはおにぎりも普通に売っているし、スーパーも開いている。陸続きの道も生きているので、鳥取県内からも調達できる。

今日は少し時間ができたので、図書館のボランティアに行って、そこで色々な話を聞けた。散乱した本を書庫に整理するのだが、私が行った時にはほとんど終わっており、おやつのたい焼きを食べて解散。これじゃあたい焼き泥棒だわ。

午前中に湯梨浜町のボランティアに行ったという方の話が印象的だった。ニーズは屋根瓦の補修と、散乱した家の片付け。屋根瓦は雨天は危険、家の片付けは女性の方が良いとか学生は可能か、などニーズとニーズがなかなか合致せず、結局家族や近所の者でやるから結構です、となり、みんな図書館に流れてきたから作業が捗ったそうだ。こんな混乱の中でも、県外から火事場泥棒が来ているらしく、それを警戒してよそ者に家の中に立ち入られる荷物整理は敬遠されるのだそうだ。なんてこと。

知り合いのお店に顔を出すと、少し食器は壊れたものの、大丈夫。報道は少し過剰なのではないか、とみんな口を揃えて話していた。どうりで、県外からもみんな心配してくれるわけだ。我が家は少し変な臭いがするものの水も出る様になったし、余震は心配ではあるけれど、生活は元に戻った。大丈夫。ありがとう。

地震当日夜に、余震が怖くて避難所に泊まられた妊婦さんは、不安で眠れなかったと言っており心が痛むが、夜が明けて安全を確認して家に戻られた方も多い。まだ帰れず避難所生活している方(主に一人暮らしのお年寄り)に支援が行き届くのが今の課題なのかな。

「私らは、ここいら一帯、散々温泉の恩恵を受けているから、たまにはこういう目にも遭わんとバチがあたるわ。そう考えんといけんわ」
今日耳にしたこの言葉が印象的だった。やはり、外に出て、人と話すと視野が広がる。みんな、明るい。

支援が必要な人に必要な支援が届くように、引き続き、自分にできることをできる範囲で。余計な風評被害に、知らず知らずのうちに自分が加担しないように。

地震の前日に摘んできた秋桜の蕾が咲いていた。よくぞご無事で。f:id:saorelax:20161024110627j:plain

唸り声

朝方、家に帰ったら、郵便受けにとってもいない新聞が入っていた。山陰中央新報さんの粋な計らい。こういう気遣いは本当にうれしい。松江の会社なんだ。隣の島根から温かい気持ちを受け取った。

帰りにスーパーに寄ろうかと思ったけど、東日本大震災の時、スーパーで買い漁る人々の殺気に飲まれて、なんだか何が必要だかよくわからないけど売っているものは買っておいた方が良いのかな、と思ったあの怖い感じが蘇ってきたのでやめておいた。水と米があれば、全然生きていける。丁度連続勤務だったため、芋やらかぼちゃやら、大量に食材も蓄えてあったので、とりあえず大丈夫。我が家は水はまだでないけれど、それ以外は普通だ。

夜中は、余震が怖くてほとんど眠れなかった。グオーという地響きが鳴り、少しするとグラッと揺れる。丁度ピカッと光って雷がゴロッ落ちる、あんな感じ。うとうとしても地響きが鳴るとパッと目がさめる。その繰り返し。地響きなんて、生まれて初めて聞いた。地面の奥の奥の方から唸ってくるような恐ろしい音。そんな中でも、お産の方はやってきて、元気に生まれてくる赤ちゃん。朝になり明るくなって、バタバタながら外来も始まり、人が集まってきて、ああ普通の日っぽい、とものすごく嬉しかった。

瓦の屋根はどの家も崩れ落ちていて、写真で伝えみる知人の家の中の惨状には唖然とするが、それでも時間は動いていて、人々が動き出している。
それを感じたら嬉しくてホッとして、家に着いたら泥のように眠った。

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余震が十分おきぐらいにくる。こわい。
でも、東日本大震災の時は携帯も全く使えなかったから、電波があるだけ全然心強い。田舎だから混線しないのかな。

二十一時五十分に水道止まる。
マンションのタンクの底が尽きたのか。お隣の部屋の方がペットボトルの水を分けに来てくれた。「こういう時は助け合いですから」初めて話したがなんて優しい方。隣の部屋からこぼれ聞こえるガハハて笑い声にイラッとしたりしてごめんなさい。落ち着いたらお礼しよう。

蛇口を捻っても水が出なくなると、一気に心許ない気持ちになる。水が出る間にご飯3合炊いて、お湯沸かして温かいお茶を作っておいてよかった。
家を出るときに、なにを持っていくか迷う。一生ここに戻って来れないわけじゃあるまいし、とも思うけど、あれもこれも、と思ってしまう。こんな時に欲張り。最低限の貴重品と非常用リュックと、食料と、防寒具。心を落ち着かせるための好きな本。車があると、身一つで動くより心強い。最悪この中で寝られる、という安心感。道路は問題なし。電灯の点いている部屋は四部屋くらい。みんな避難所にいるのかな。

二十二時半職場に到着。
やはり人がいると安心する。クリニックの水も途絶えそう。水。ライフライン、ほんとに大切だな。少し寝よう。

地震

勤務中に大きな揺れ。

最初は震度四で、患者さんの無事をひとまわり確認したその後にグラッとはんぱない揺れがきた。十月二十一日、十四時〇七分。震度六。ジェットコースターが落ちる時の一瞬無重力みたいに胃が浮くような感じがした。廊下にある花瓶が落ちてガシャンと割れて飛び散る破片。あの光景、音、スローモーションに記憶に残っている。これは、以前車に乗っていて事故った時の感じに似ている。

患者さんの無事を確認し外へ避難誘導。
なにをしたらいいのか、「落ち着いて、落ち着いて、」と何度も自分に言い聞かせた。でもすぐ頭がからっぽになる。何かがあると、ワッとそこにスタッフも集まるが、もっと全体を見て行動しなければいけない、と思って、全体を見ようと思った。
そんな混乱の中、元気に赤ちゃんが生まれた。
本当に希望だと思った。

 常に感じていたのは、なんて自分は無力なんだろう、ということ。災害拠点病院で働いていたことがあるのに、こういう時に率先して動けない。本当に、無力。考えて、思うことをとりあえずやった。 何度もくる余震。
「○○取ってきて!」と言われて病院の中や2階、3階に戻る度、「今建物が崩れたら終わる揺れるな揺れるな揺れるな」と何度も思った。怖かった。
駐車場の上にはずっとおそらく取材のヘリコプターがブルンブルン言いながら飛んでいたけど、そんな無駄に回旋するんだったら、この切迫早産の妊婦さんをさっさと搬送してくれればいいのに、と思っていらいらした。 家族がいなくて寂しいけれど、ひとりの家でこんな地震にあわなくて良かった。目の前のすべきことに没頭している方がいいし、誰か、しかもとても信頼している職場の方々がそばにいるから、怖いけどなんとか気持ちを保っていられた。 とりあえず、一段落していったん帰宅。

帰りに、白壁土蔵の辺りを通ったら、ガラスの破片だらけ。ショーウィンドウが割れたのだろうか。スーパーにも報道の人が来ている。マルイのスーパーは、店の軒先で水や食料を仮設のレジを作って売っていた。水2Lを1箱買う。とりあえず、水は必要そう。

水道が止まったやら停電やらと耳にしていたが、私のマンションは無事。冷蔵庫があいて棚のものが散乱しているけれど、基本的に家の中が雑然と散らかっているので、そこまで変わった光景に見えず、ホッとする。水も電気も復旧した後のようだ。ありがたい。 今晩は病院に戻って、はしっこの方で寝かせてもらう。少しは役に立てるかもしれないし。病院からもらってきたおにぎりを食べる。人の握ってくれたおにぎりは、本当においしい。 多くの方が、心配のメールをくれて心強い。ありがとう。

こんなにざわざわした自分の気持ちをよそに、いつも通りの日常が繰り広げられているSNSに違和感を感じる。でも、たまたま私が大きな地震のあった鳥取県倉吉市、という場所に住んでいた。それだけのこと。震災の方々はこんな気持ちなのだろうか、と少しだけ思った。 気を張っていたのが一気に緩んで足がなまりのように重たい。本当に疲れた。このまま床に寝転んで寝てしまいたいが、とりあえず病院に向かおう。

寛容

ちゃらちゃらしたものが、あまり好きでない。

 

はやり廃りに乗っかって、一瞬の華やかさを追うことが滑稽に見えるからだ。そういうものに対して嫌悪感を抱くトガッタ私、が顔を出す。「山ガール」然り、「○○ラン」然り。登山やランニングにおしゃれとか持ち込むのはやめてほしい。ここはもっとストイックな世界なのだから。そう思っていた。

 

そんな私だが、先日野外音楽フェスに行って、新鮮な体験をした。フェスなどあまり行ったことがないので、どんな格好をしたら良いのかわからなかったが、いわゆる自分が思う「フェスらしき格好」をしてみた。おめかしして、張り切ってフェスに乗り込んだ。しかし、一緒に行ったフェス慣れしている音楽好きの友人達はTシャツにジーパンにリュック。普段着の友人を前に、ちゃらちゃらした格好をしている自分がなんだか恥ずかしくなった。あれ、なんだか間違えた?

 

一方で、このフェスは、沢山のお店も出店していた。マーケットだ。細かいブースに分かれていて、雑貨から古道具からアクセサリーから衣類からおいしいご飯から、なんでも売っている。そこに集う人々も沢山いる。

 

参加アーティストが言っていたことばが印象的だった。「このフェスに来ている人は、音楽を聞きにきた人と、買い物をしに来た人ハッキリと二分されている。買い物をしに来た人は音楽には興味なさそうですね」。それを聞いて、正直私はマーケット側の人間なのかもしれないと思った。熱狂的に音楽を聞きにきたというよりは、大好きな友人と心地よく音楽が聞けたらそれでハッピー。音楽もそこそこに聞くけど、可愛い一輪挿しも欲しい。鳥取ではお目にかかれない珍しい雑貨も見たい。マーケットに来ている人たちのおしゃれな着こなしも興味深い。

 

音楽道最前線の人から見たら、邪道な存在かもしれない。それでも、そんな私を誰も邪険に扱わなかった。それはそれで、あたたかく受け容れてくれていた。一言にフェスと言っても、いろいろな要素が含まれていて、それらがやさしく共存していた。衝撃だった。

 

音楽や、スポーツは、自由なのだ。すべてのことは、突き詰めればどこまででも深められる。でも、玄人以外足を踏み入れるべからず、と敷居を高くしても狭くて退屈で広がりがない。間口を広げて、いろいろな人が興味を持つ入口を作ることがとても大切。そして、それらを否定せず、あたたかく受け容れる気持ちを持つ。格好に、間違いなどないのだ。ちゃらちゃらしたもの、と一蹴しないようにしよう。なんだか、今までいろいろとごめんなさい。

 

いつも私が感じていた構図が逆転した、とてもおもしろい出来事だった。フェス、奥深し。おかげさまで、少しだけ足を踏み入れためくるめく音楽の世界を堪能する日々である。

森、道、市場 | 2016〜つながる空と色を探しに海へ〜

 

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西瓜

マラソンをしている時は、あたまの中が自由になる。必然的にいろんなことをゆっくり考える良い機会になるから好きだ。

 

一〇キロメートル。バリバリ運動していた昔の私にとっては屁でもない距離だが、今の私にとってはこれが精一杯。でもこの一〇キロメートルを走る一時間が、なかなか奥深い自己内省の時間になるのだ。三年目の出場となる大会だが、過去二年は一人で参加していたので、終わった後のスイカを食べるのも一人だし、必然的に大会に出ること自体が目的になっていた気がする。タイムやペースも気にしつつ、結局自己満足、自己完結の世界。でも今年は、距離は違えど一緒に参加した方がいたこと、応援に来てくれた人がいたことが大きく違う。走っていて死にそうに苦しくても、終わったらみんなでスイカを食べよう、とか、どこかで私のことを見ていてくれている、という気持ちが一歩を踏み出す大きな支えとなった。びっくりするぐらい、精神的支えは大きい。

 

自分の気持ちの変化を敏感に感じ取るのもおもしろい。上り坂になると、練習不足がたたって沢山の人に抜かれて行く。私は本当に上り坂が苦手だ。男の人に抜かれるのは気にならないけど、女子に抜かれるとやっぱり悔しい。悔しいけど、足が動かないのだもの、仕方ない。もうこのまま朽ち果てるかと思いきや、少しして呼吸が安定してくると足が軽くなってまたスピードを取り戻す。気付くとさっき抜かれて姿も見えなくなった人が隣にいたりして、ああ、人生こんなもんだよなあと思う。平地や下り坂ならば、私は走れるのだ。上り坂でどれだけ抜かれても、他の所で取り返せばいい。自分にとって苦手なことも、隣の人にとっては得意かもしれないし、そこだけ見ると自分が落ちこぼれのように感じても、おしなべて見れば大して変わらないこともある。目くじらを立ててひとつひとつを人と比べるのはナンセンスだよな、とぼんやり考える。今年は腕時計を忘れてラップタイムをはかれなかったが、なんだかそれが逆に良かった。スタートして走り出して、ゴールする時に初めて自分のタイムを知る。こまめに自分の立ち位置を確認しなくたって、死ぬときに自分はこんなところにいたのか、と眺めるのも悪くない。

 

鳥取に来て一番良かったと思うことは、周りを気にしなくなったこと。同期もいないし、専門学校時代の仲間は年齢も状況も全く違うから比べる対象がいない。自分のペースで自分の好きなことができるようになった。初めて、のびのびと生きることができるようになった気がする。産後の授乳で悩むお母さんも、自分と赤ちゃんだけを見て一番良い状況を考えていけばそれで十分なはずなのに、みんな口を揃えて言うことは「お友達は完全母乳なのに、私だけミルクを足している」。状況はみんな違うのだから人と比べる必要はないのだけれど、そう思ってしまう気持ちも痛いほどよく分かる。見ないことが難しいのならば、見えないところに行けばいい。自分の傾向を知り、自分が心地よい方向へ自分を持って行く。思い切って逆サイドにボールを放ってみれば新しい世界が見えてくる。

 

そんなことにまで思いを巡らした一時間。巨大スペクタクルを終え、満足気にむしゃむしゃスイカを頬張る。これがないと、夏は始まらない。

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